◎夢の話 第1K96夜 行き着けない
七日の午前五時に観たが、「怖ろしい夢」だった。
何か追悼式のような催しがあり、皆でそれに出ることになった。
親戚も全員が来るらしく、父母も来る。そして長らく不在だった祖父も。
郷里ならもはや行けぬのだが、場所が大宮の近くだった。ただ、あまり聞き慣れぬところだ。
大宮で私鉄に乗り換え、また途中どこかで乗り換え四五駅で着く。
「それなら、今の俺でも何とか」
だが、当日の朝に所用があり、妻子を先に行かせ、自分は後から行くことになった。
所用が終わり、着替えを始めたが、礼服どころかスーツさえ長らく着ていなかったから、ベルトやズボン吊りがどこにあるかが分からない。
探すのに手間取っているうちに、かなりの時間を食ってしまった。
急いで駅に行き、まずは大宮まで行った。
中継駅まで着いたが、乗り換えるべき鉄道の改札は駅構内ではなく、一旦駅を出て、陸橋を越えた反対側にあった。その陸橋の下は川だ。
中継駅を出ると、俄かに雨が降って来た。もの凄い土砂降りだ。
あまりにも雨量が多いので、ビルの陰に入ってしばらく待った。
小雨になったところで、再び陸橋に向かったが、鉄砲水が出て橋の上まで水が寄せていた。
「こりゃ教えてやらねば」
先ほどの中継駅に戻り、「橋が流されそうだよ」と伝える。
「で、あの橋は渡れないから、あっちの駅に行く方法を教えて」
すると、駅員は「電車に乗りふたつ進むと、そっちは線路が繋がっている」と答えた。
そこで、改札付近に行き、路線図を見上げたが、眼疾で文字がよく見えない。
何という駅で、幾らなんだろうな。
ローカル鉄道なので、交通カードは使えず、現金払いだった。
「ううむ」
たまたま駅員が通り掛かったので、「チョコマカ駅までは幾ら?」と訊く。
「それって、券売機の何番目にあるの?」
路線図の掲示が見えぬのだから、券売機の文字が見えるわけがない。
すると、駅員は「あの台の前に立っている駅員なら直接切符を売ってくれます」と答えた。
その駅員のところまで行き、そのことを告げる。横の台は伝票に書き込みが出来るように置かれているらしい。割引なんかだな。
駅員は車掌の持つような黒革の鞄を開け、伝票を出した。
鞄の中に、券切りの鋏が入っている。昔、改札で駅員がチャカチャカ夫を立てて切れ目を入れていた、あの鋏だ。もはや三十年以上前に無くなった筈だが。
お金を払おうと、私も財布を取り出し、小銭を出そうとしたが、手先が見えぬのでお金を取り落とした。
小銭はチャランと音を立て、台の下の棚に落ちた。
覗き込むと、そこには外国のコインが展示してあった。一個が数十万円の銀貨が五十枚くらい並んでいた。
その間に紛れ込んだなら、私の眼では探せない。
「もういいや。別のを出します」
財布から札を出そうとすると、駅員がそれを留めた。
「あなたが落としたのは高いのかもしれませんよ。探した方が良いです」
だが、高価なコインを財布に入れるわけがない。
「別にいいんだよ」
すると、駅員がさらに疑念に満ちた視線を向けた。
「本当にいいんですか?」「いいんですか?」
こんなことをしている間に、どんどん時間が経って行く。
式が始まる刻限までもはや十分くらいしかない。
「俺は追悼式に間に合わぬかもしれん」と思う。
言い訳が必要だ。
携帯を出し、式場に電話を入れることにした。
「もしもし。私はホニャララ家の者ですが、まだ死ねぬので、もう少し後で行くと伝えて下さい。長くはかかりません」
その自分の言葉に、自分が驚く。
「え、『まだ死ねない』って、どういうことだよ」
ここで覚醒。
ああ良かった。あの川は「三途の川」だ。義務感を持ち、橋を渡って行ったなら、案外すんなりと川向うに渡れた筈だ。川の氾濫は「そう見える」だけ。あの川からは向こう側で、見えるものが真実とは限らない。あの世の住人は、「こころの眼」で外界を見るから、その者の持つ外界イメージがそのまま形となって現れる。
「あれを渡ったら死ぬのだろうな。たぶん、この夢を観ている俺も同時に心臓が止まる」
夢に出て来る「旅行」は「人生」の象徴だ。とりわけ「鉄道」はその意味合いが強いので、人生を通じ関わったものが必ず出て来る。
この追悼式は、母や祖父も出る式で、「私のためのもの」だった。
ただの夢ではなく、現実と繋がっているところが、もの凄く怖い。
私自身が、夢の中のアイテム一つひとつを理解しているところが、また怖い。
もはや「自分はこの世とあの世の際まで来ている」と自覚した。
ここで、ひとつ悟ったことは、「きっと、もう郷里には行けぬ」ということだ。
今の私は電車に乗れない。
追記)この夢が「ただの夢ではない」と分かるのは、直接の流れとは関係のない別の視点がパッと開けたことだ。
祖父は私が小五の時に亡くなったが、本人が常々、「迷惑を掛けぬように、起き上がれなくなったら一週間で死ぬ」と言っていた通りにて、床から起き上がれなくなって五六日目に死んだ。
死んだ後、すぐに川を渡ったので、この世に祖父の意識の残滓は無い。祖父は晩年、七年くらいの間、毎日釣りをして過ごしたが、朝から夕方まで考える時間があった。その時に諦観のようなものが出来ていた。
母はまだ橋の途中に居て、私のことを待っている。これは私が「俺が死んだら、一緒に世界中を見て回る」と約束したからだと思う。時々、当家に来て、生前のように家事を手伝おうとする。洗濯機のスイッチ(電源)を入れたりするからそれが分かるのだが、先日、「母が来ている」と感じた直後に洗濯機が壊れ、ドキッとした。なかなか息子が来ぬので、怒っているかもしれん。
だが、母が立っている橋の下は、穏やかな川が流れているから、そんなこともないようだ。さすが母親は息子の幸福を誰よりも願う。
自分自身の追悼式に出られなくて良かった。私にはまだ橋の上は暴風雨で、とても渡れる状態ではない。すなわち、これは「まだもう少し余生がある」という意味だ。
別の者の視点からも状況が見えるので、典型的な霊夢だと思う。