日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎再度点検してみた

再度点検してみた
 他のひとがどう思おうが、そんなことはお構いなし。他人はせいぜい好奇心や知識の範囲だが、私がもししくじると、今週中に右足を切断されることになる。その後は例外なく半年くらいでこの世とオサラバだ。
 可能性を含め、入念に点検することにした。
 ちなみに、私が今生きていられるのは、「トコトン詳細を調べて」、「先んじて、出来る限りの手を打つ」主義でいることによる。もしただの錯覚であればこの後何も起きぬし、早めに手を打てば間に合うかもしれぬ。自身の直感を信じずに傍観すれば、「ただ運を天に任せる」だけになってしまう。
 打てる手があるのに、ただ「座して死を待つ」のは、愚か者のすることだ。

 殆どの人は見えぬと思うが(そもそも画像サイズが違う)、廃病院の人影は、私には顔まで見える。
 問題は「あの後から私について来たのか」どうかということだ。

 画像を再拡大して点検すると、当初思ったより多くの人影が浮かび上がって来た。この詳述は省略する。記しても分かる人は僅か。
 もちろん、当事者(私)は、視角以外の情報があるので、符合するものがあればすぐにそれと分かる。

 当初は左がっわの男性の後方にいる女が「事務棟の女」ではないかと思っていたが、そうではなく、この時には私にへばりついていた。顔は朧気だが、視線が同じ。
 ちなみに、事務棟の画像を改めて開けて見ると、撮影時には俯いていたのに、今は顔を上げている。
 こういうのは当事者にしか分からぬ話なので、もどかしいこと限りないが、別に「ネットで受ける」ためにこうしたことをやっているのではない。理解者など不要で、テーマは「どうやって自分が生き残るか」だ。

 私だけは「気のせいではありませんでした」では済まず、しくじればこの世とオサラバだ。少しでもリスクを感じれば、対処して置くに限る。

 どうやら、「お迎え」と直接対峙して、何年間も生き残っているのは、私だけらしい。「お迎え」を見た経験のある者は概ね一年以内にこの世を去っている。
 あの時の恐怖感は、世間に流布する大半の恐怖話、怪異譚が「笑える」ほどだ。 
 誰がどういう印象を抱こうが、私は自分の考えに従う。
 差し当たって、「足を切られずに収めること」と、「もう少しだけ生き残ること」がテーマになる。
 ま、来年、息子が無難に就職してくれれば、ひと区切りし少しく解放されるとは思う。

 ところで、先ほど叔母から電話があり、小一時間ほど話をした。
 叔母は親戚と言うより、「マブダチ」と言う方が適切かもしれぬ。直感の立つ人で、私とは話が合い、最大の理解者だ。よって、身辺に起きたことの詳述が不要だ。
 叔母はアラ八十に達している筈だが、「心は三十歳の時のまま」だと言う。
 「俺も同じですが、否応なしに体が老いて行きます」と答えた。
 ま、こんなもんだ。常在戦場。

 

追記)実際には、最初の画像が分かりよく、足元に女がいる。服装が旧病院の事務棟にいた女と同じだ。手を合わせて拝んでいる。

 今回の追記で、女の姿が見え易くなる人もいるだろうが、あまり注視しないこと。
 いざ始まると、急速に進行する。
 境目が歴然で、ドラスティックに変化変貌する。

 ここまで追及して、ようやく何が起こっていたかが分かる。
 女は長い間あそこに閉じ込められており、数か月に一度当方が通り掛かるのを、五階から見ていた。
 今回、私の方が眼に泊めてしまったので、共感の余地が生じ、「助けてくれる」と思ったらしい。自分が感じる苦痛を知らしめ、これから解放して欲しいと懇願している。