◎病棟日誌 悲喜交々 11/25 「防戦一方」
この日は通院日。
普段より十分遅くなったのだが、既に駐車場が満杯。どこにも入れられない。
立ち往生していると、ガードマン氏が「こっちに」と誘導してくれた。案内されたのは、敷地内の通路で、隣にも車が入れてあったから、左右の余裕が5センチくらいしかない。
眼を治療する前なら、たぶん、入れられなかったか、あるいは隣の車か壁を擦ったと思う。
いつもの定位置の駐車スペースなら、後ろも向かずに入れられるのだが。
さらに遅刻して病棟に入る。
木曜日は腹具合がやたら悪かったが、そのせいで足の異常を見落としていた。腹が治ると、今度は足先がやたら痛い。
足は怖いので、看護師に報告すると、看護師は絆創膏を開けて確かめた。
「こりゃ酷い。先生と相談しますね。膿が溜まっている」
絆創膏の陰で、まともに見ていなかったのだが、親指が紫色に変色していた。
すぐに医師が来て、週明けに外科に回されることになった。
この日は土曜で、外科も形成も休診だった。
腎不全患者はこれがあるから怖い。ほんのちょっとした傷から足が腐り始めて、三日目には切断に至る場合もある。
「とりあえず消毒して、抗生物質を処方します」
看護師が来て、足を消毒してくれたが、見た目は色だけの違いなので、ごしごしと布で拭く。飛び上がるくらい痛いのだが、こういう時は見栄っ張りの性格が出て、黙っていた。
終わりごろに、看護師がはっと気付き、「もしかして泣くほど痛かったのでは?」と訊く。
「別に平気です」
もはや後の祭りだし。
また抗生物質か。眼疾で使い、足の傷で使う。
抗生物質は腎臓を傷める最大の要因だが、既に守るべき腎臓が無くなっている。
で、ここで思い出すと、木曜日くらいから足の不調も起きている。始まりは水曜の夜くらいからで、要するに循環器の病院に行った後の出来事だ。
「そう言えば、窓際に立っている女を見たよな」
他の者には伝わらぬだろうが、当方は前々から、旧病院跡の前を通ると「誰かが見ている」という気配を感じていた。
病院が壊されたら、事務棟の前で同じように感じたのだが、旧病院と事務棟は繋がっていた。
「視角で見る」というより、気配の方が大きいのだが、大体、視角は後からついて来る。そのうち声も聞こえるようになる。
あの世の者は「感情だけの存在」と言ってよく、感情は波の性質を持つ。こちらが気配を感じる時には、同時に先方も同じように感じている。
そして音叉のように共鳴する。
これは画像だけでも同じことが起きる場合があるから、時々、画像に「あまり見詰めるな」と付記することになる。じっと見つめているうちに、ぞわぞわと背筋が寒くなることがあると思うが、それも共感の一種だ。これは、ともすれば相手を呼び込むことになりかねない。
当方は既にこの世とあの世を隔てる境界線を踏んでいる。
線の内側の者にとっては、意識すらしないささいなことでも、当方には重大な影響が生じることがある。ま、本来は何年も前に死んでいる筈の者だから、これも当たり前だ。
日頃、煩いくらいセルフチェックっを繰り返すのはこのためだ。実際、来週には右足を切り落とされることになっているかもしれん。
「あれ?」と思うような出来事があると、それを境に悪影響が露骨に現れる。その境目が、あの事務棟の前だと思う。
画像は今日の病院めし。
埼玉なので、時々、「ソースかつ丼」が出る。
幼稚園児サイズだが、今はこれくらいでちょうど良い。