日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎ようやく曲がり角を曲がったのだが

ようやく曲がり角を曲がったのだが
 潮目が変わったようで、今朝になり薬が効き始めた。
 これまで、足の感覚がゼロに近かったが、今は温かくなっている。
 おそらく転機は一昨日だ。この日の夜になり「背後の人に気付かなかった」ことをブログ等に記した。
 背後の者に「ついて来るな」と声を掛け、そいつは別の方向に行ったが、あれは本当に人だったのかどうか。
 手の届く距離にいたのに、直前までまったく気付かなかった。
 翌日(昨日)まで痛みは変わらなかったのだが、今朝になり、「これから改善される」気配になって来た。足先に血が通い始めている。

 足が急に腐り始めたのは、廃病院の出来事に関係していると思うのだが、その流れについてここに記そうとしたが、幾度書こうとしても途中でパッと消えてしまう。
 こう言う感じの時には、ワードで書いてコピペしようとするとPCごとフリーズしてしまう。要は「書いてくれるな」という意思表示だと思う。
 これはすなわち、私の考えが「ただの妄想や推測ではない」という意味でもある。

 先ほど、「生きている者を支配しようとするなど、考え違いだぞ」と警告した。苦しみから逃れたくてひとに掴まるなら、まだ理解も同情も出来るが、支配し思うように操ろうなんて分限を超えた話だ。

 ま、いずれ足を失くすとは思うが、それは今ではない。
 悪縁を放置すると、「来るべき滅び」を前しにされるから、その都度よく観察して身辺をきれいにする必要があるようだ。

 以上は突飛な話で「過去に死んだことの無い人」には理解出来ないと思う。あの時から、現実とあの世の垣根がかなり低くなり、間近に感じられるようになっている。
 理解や共感など必要なく、目の前の問題を解決しつつ、無用に早死にしないで済むならそれでよいわけだが、こういうのは遺伝するようなので、記して置けばいずれ子どもたちが目を通すだろうと思う。
 母の見ていたものを理解出来るようになったのは、母が晩年になってからだった。母は人聞きが悪くなると考え、殆ど語らなかったが、私はそんなのは平気だ。もうあの世は目の前だし、他者との関係はどうでもよい。

 追記)詳細な説明が書けぬのは、「まだ傍にいるからね」という意味・意思表示でもある。去ったわけではないということ。