日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎亡者たちに囲まれる

亡者たちに囲まれる
 当家の神棚には、中央に天照大御神、左に八幡さま、右に高麗さまを配置してある。役割序列が決まっているので信仰に矛盾はない。
 その日によって、現在地から近い神社に参拝することにしている。

 既に四年前には「亡者の群れ(百鬼夜行)」の隊列の中に取り込まれたが、周囲は亡者だらけなので気を抜くと、存在を脅かされる。
 毎日、新しい者に寄り憑かれるので、細目にチェックをして、離せる者を離すことが必要だ。うっかりすると、この数か月で起きたように、持って行かれそうになる。
 廃病院にいた女は悪縁(女)で、そいつの顔を見ると、その日のうちに両足の先が腐り始めた。
 この日は最寄りの八幡さまに参拝し、いつも通りセルフチェックをした。

 二枚目の画像が最も重要で、周囲に幽霊が沢山寄り憑いているのが分かる。特に個々の指摘はしないが、画像を拡大すると、私の左右にそれぞれ黒い人影がしがみついているのが分かると思う。(割と把握しやすい。)
 前後左右にびっしりいて、さらにその後ろに隊列が続くから、まさに亡者(死霊)の群れの中だ。
 このところ気管支が荒れているが、要因のひとつはこれだと思う。幽霊がひとに寄り憑く時には、喉元から中に入ろうとする。
 ちなみに、すぐ後ろが灌木に見えると思うが、私の背後は手水場で、生垣は数十㍍後ろにある。これは木々ではなく「煙」だ。
 シルエットを辿ると、うっすらと顔が幾つも浮かんで見える。

 我がことながら、「これじゃあ、さぞ処理が大変だろうな」と痛感する。実際、こういうことの処理にそうでなくとも乏しい時間の多くが費やされる。
 胴体に複数の腕が巻き付いているので、私の体が横に膨らんで見える。
 憂鬱な気分になるわけだが、いつも言う通り、「ひとはどんな状況にあっても、それに慣れ、対応できるようになる」。

 ま、小鹿野を訪れた時に「一層増えているだろう」と言う実感があった。だからこの日も神社に参拝したわけだ。
 神殿では「こいつらを置いて行きますので引き取って下さい」と祈願した。
 直感の長けた人なら、二枚目の画像の中に人影が見えると思う。今回は、私だけが対象になっているので、拡大して眺めても共感(同調)は始まらぬと思う。
 光と陰のバランスが崩れたところに着目すると、すぐに人影が浮かんで来る。見方眺め方のコツが分かると、すぐに見つけられるようになるし、目視もソコソコ出来るようになる。
 いつも「特別な霊能力などというものはない」と記すのだが、普通は観察のノウハウを知らぬから見えぬだけで、霊感直感は誰にでもある。