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◎霊界通信 「迅速な対応」
何か心に引っ掛かる出来事(あの世関連)が起きた時には、「それが事実か」を確かめようとしている間に手遅れになってしまうことがある。重大な局面に至る前に処理をする必要があり、その方が解決が近いから、悪い事態だったことを想定しある程度「見切り発進」的な対応をした方が早い。
昨日、スーパーの場内で「ブレーキペダルが踏めない」と言う事態が起きたが、本人の意識では「正面真ん中を踏んだのに足がペダルに当たらなかった」。感覚が外界と乖離している。
昨日の感覚と似た感じの違和感があった出来事を振り返ると、前述の「鍵のかかっていないドアが開けない」の他に、「カーナビが誤作動?する」ことがあった。
従前は、年に数度、三浦半島を訪れていたが、ある時、海岸近くで何とも言えぬ「変な感覚」になった。帰路、カーナビを東京方面に指定したが、三浦市内をぐるぐる回り、幹線道路を二度横断してまた元の路地に入ったので、そこでナビを切り、幹線道路を探し、それに従って帰った。
同じカーナビでは、家族で箱根に一泊し、翌朝、「東京」を指定したが、まったく逆方向の名古屋方面に向かい、かつ山中の林道を走らされた。
機械の話で、自分自身の問題ではないのだが、「誤作動」の範囲を超えた出来事だったので、違和感を覚えた。白河でも全く同じことが起きたが、これは幾度も記したので省略。
各々の時には、その出来事の前に予兆のようなものがあり、気色の悪い出来事が続いていたから、その都度、お祓いをしたが、いずれもそれで静かになった。
ちなみに、三浦から帰り自宅のドアを開けようとした時に、「理由なく開かない」出来事が起きた。
その後、二週間くらいの間に二度追突されたので、神社でお祓いをして貰った。
書いて行けばきりが無いのだが、こういう経験を踏まえ、いちいち神社に行って祈祷して貰っていたら身が持たないので、自分でご供養を施し、あるいは祓うことにしたのだった。
神職や僧侶に頼む前に自分で解決できれば、それに越したことはない。やってみると、自力解決の方が解決が早い。
というわけで、この日はまず飯能の能仁寺に参詣することにした。
日曜なので、十時頃には周辺の駐車場に入れられなくなるが、早朝であれば人が少ない。
山門を潜り、坂を上り始めるが、異様に体が重い。このところ体調が悪かったことも影響しているが、後ろに数十人ほどを連れている感じがある。
ここで「視線を向けずに撮影」する方法を想い出した。これだけ重いのなら、必ず後ろにいる筈で、TPOが整えば、これが画像に残る。すぐに肩越しにカメラを構え、撮影した。
相手を意識すると、姿を現さなくなることが多いので、眼を逸らすということだ。視線を与えずに、なるべく意識の外に置く。
ちなみに、従前は時々これを多用していたが、あまりやらなくなったのは、「気色の悪いものが写る」ためだ。自らを隠して近づく者は、顔に本性が現れる。それも(先方が)相手(私)が見ていないと思うからで、生きている者と同じ反応だ。見られていない時に本性が出る。
さて、今回の画像には、耳の周囲に煙が出ていた。ごくわずかだが、煙の筋が私の耳を伝っていた。
現状で、左の頸部、右の肩、右の後ろ腰、右脚ふくらはぎを「掴まれている」感触があるが、直接的な体感は「1グラムの触感」しかない。
このわずかな触感を与える要素が、この「煙」だと思う。幾度も記したが、この触感は、ちょうど「蜘蛛の糸」程度のものだ。
稲荷眷属の障りに苦しめられた時に、幾度かこの「蜘蛛の糸が顔にかかる」触感を覚えたので、以後はこれが区別出来るようになった。要は稲荷の置き土産だ。
時々、私が「ここに女がいて」などと記すのは、眼で見て言っているのではなく、むしろ「声が聞こえる」「触られる」「(音のように)響く」ことによる。もちろん、視覚と同じように、朧気であやふやなものだ。
私には特別な能力などはない。ちなみに、誰にも特別な能力などは無く、皆が持っているが、使えぬ・使わぬだけ。それなら、感覚と言うものは、基本的に「よく間違える」ことを肝に銘ずるべきだ。
耳の煙は、たぶん、首の鈍痛の原因だろうが、そうなると、他にも沢山まとわりついているということになる。
そのことを念頭に置き、お焼香をして、東屋のテーブルでお茶を備えた。最近はこのお寺を多用するが、時間帯により人が少ないことがあるので、死者との対話を口に出して行うことが可能なことによる。
ご神刀で切り付ける前に、まずは優しく話し掛けて説得を試みる方が無難だろう。
よほどのことが無い限り、「いきなり浄霊のための祝詞やお経を唱え始める」のは避けた方がよい。
生きた人間でも、よく知らん奴から、唐突に「あっちへ行け」と言われれば、誰でも腹を立てる。
(もちろん、相手にもよる。更生不能な者は、この世にもあの世にもいる。)
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能仁寺を出た後、裏道に入り、滝不動に参詣することにした。
ここは道筋ではないので、足が遠のいていた。だが、お不動さまだし、時々はお参りした方がよさそうだ。
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最後は高麗神社でセルフチェックをした。
まだ午前九時で、あの世観察には全然適さぬ時間帯だ。
撮影を試みたが、やはり反応が鈍い。
私は何千枚も観て来たので、注意すべき点が分かるが、それを記しても何ひとつ伝わらぬと思う。
目的は「私自身への良からぬ影響」を見付け、警戒することなので、この日特に記述することはなし。
これから、少し参詣・参拝の頻度を増やし、少しずつ身を軽くする必要があることを確認した。
昔ほど、かたちになって現れなくなったが、それが時節的なものなのか、環境要因なのか、受け手(私)の側の変化によるものなのかは、よく分からない。
ま、今はあまり写真撮影なども必要ではなくなっている。体のあちこちに手を掛けられるわけだが、それが触感として感じられるようになった。
ネットで見た、「幽霊の声を聞く装置」を近日中に購入するつもり。
幽霊は、音や心など「波」の性質を持つので、周波数により、「幽霊の声が聞こえやすくなる波長がある」のは事実だろう。もちろん、確からしいのは「その波長の音波を拾っている」ことまでで、それが幽霊の声かどうかは、まだ多くの疑問がある。
赤外線を使用すると、ピンポイントで幽霊の姿が写ることもあるが、環境の条件などがまだイマイチ分からない。それと同じような課題があると思う。
追記1)ようつべを観ると、時々、いわゆる「スポット」を訪れて撮影し、その動画を公開している人がいる。その行為自体、それが好奇心に寄るものなら「やめとけ」だと思うが、基本的に本人の自由だ。ケツを自分で拭く限り支障はない。
ただ、「前だけでなく、背後も撮影しとけ」と助言したい。
その場から、仮に何者かを連れ帰った時に、周囲の状況を確認出来れば、それが何者かを知る助けになる。小型カメラを後ろ向きに肩に付けるだけで済む。
ちなみに、前を見ている時よりも、かなり気持ち悪いものが映る。すぐ肩の後ろにいたりする。
障りを得ると、数日中に連れ去られることがあるので、行動は慎重に。やり直しは利かない。
追記2)「障り」に触れてから最短で二日目には生死を分かつ危機が来る。
廃病院の二階に「女」の姿を見た時には、その日の夜に、両足の前半分が紫色に変わった。翌日には両方の親指の先が腐り、ぐずぐずに崩れた。
ちなみに、殆どの人には、その写真を見ても、カーテンしか目に入らぬと思う。私には「カーテンの陰に寝間着を着た女が立っており、こっちを見下ろしている」ように感じられた。
何とも言えぬ気配が漂っていた。こういうのも、稲荷の障りにトコトン苦しめられた末に身についたことだ。
じっくり考えている暇はなく、しくじらぬ(死なぬ)ようにするためには、「そこから障りが送られている」ことを前提とした対策を用意するのが早い。
好奇心による研究や興味本位の遊びではなく、無用に死期を早めることがないように、実効性のある対策を考えているということ。(ここで電話が鳴った。)
追記3)怪談話は怖いけれど、しかし、せいぜい娯楽の範囲だ。何故なら、どんなに怖い話でも必ず終わりが来るからだ。不幸な結末の場合でも、概ね主人公が死んで終わりになる。
だが、本物の障りや祟りには終わりがない。当事者が死んだ後もそれは続く。
安易な姿勢で「あの世を弄ぶな」と言うのはそういう理由だ。殆どの人は現実に障りを被ったことがない。私が過敏に反応するのは、現実に経験したことがあり、恐ろしさを知っているから、ということだ。
追記4)(回線の繋がっていない)受話器が鳴ったタイミングを考えたが、月曜朝になり、ようやく「伝えたいことがある」と分かった。
そこで、とりあえずスピリットボックスを注文することにした。
海鮮の繋がっていない受話器のベルが鳴る家だから、何がしかでも効果があるのなら、べらべら話すと思う。