日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎鏡の中の「父」

鏡の中の「父」
 結局、十日ほど殆ど「寝たり起きたり」の状態だった。
 久々に家人と買い物に出かけることにしたが、ついでに千円カットで散髪して貰うことにした。普通の床屋だと、途中でせき込んで迷惑をかけるかもしれん。
 まずシャワーを浴びて髭を剃ったが、鏡の中に見える自分は父そっくりな風貌になっていた。
 「こりゃ、まるっきり親父そのものじゃねーか」
 だが、私の方は「75歳くらいの時の父」の風貌だった。
 長い闘病生活が老化をかなり早めたようだ。がっかり。

 父が私と同じ年齢の頃は、まだバリバリ現役だった。
 還暦の時など、温泉に百数十人かを招待して、ただで飲み食いさせた。私はその時、講座開講のため某大学と面接があり、行けなかった。
 父の還暦祝いに欠席しただけでなく、父の葬式にも欠席した。長らく「親の葬式以外の社交はしない」と宣言していたが、肝心な「親の葬式」に出られなかった。病気で電車に乗れなくなっていたからだ。
 だが、父の晩年に、私は実家で父と共に過ごす時間を長く取った。母の時と同様で、親族の中で父母の生い立ちの話を最も知る者が私だ。
 葬式に出なかったことで、私には父が亡くなった実感がなく、まだ実家や介護施設に父がいるような気がする。
 加えて、今も時々、父の声が聞こえるし、鏡を見ればそこに父そっくりな者がいるので、自分が親不孝者だという負い目はない。

 ところで、このところ家人も体調が悪く、先週は四日ほど勤めを休んだ。
 具合が悪くなった時期を考えると、ちょうどSLに乗りに行って来た頃が起点だ。
 「何だか幽霊を連れ帰ったみたいだね」
 家人とあの世の話をすることはほとんどないが、つい「家の中に誰かがいる感じがあるから、たぶんその通りだね」と正直に答えた。

 こんなイカれた話をしても、家人は実際に幽霊を見た経験が幾度かあるので、別に驚きもしなかった。あの世の存在が家人に対し何かをすることはほぼ無いのだが、珍しく今回は夫婦同時に喉が潰れた。喉周りは障りの出る典型的な場所だ。
 ま、そっち方面はダンナの担当だから、私が家人の分も対処することにした。
 とりあえず、家人には「機関車の煙を吸ったからだろ」と答えて置いた。対策に関わって貰わぬ方がやりやすい。

 先日の「殺してやる」からの一連の変事は、「伝えたいことがある」からだと、昨日ようやく気が付いた。
 なら話を聴けば、総て収まる。言葉で説明出来ぬから、脅しや叫びで誘導するわけだ。
 このため、先ほどスピリットボックスを注文した。信憑性の検証を含め、これから検討を始める。
 何がしかの根拠があるのなら、当家の場合、ワンサカ言って来ると思う。何せ普通のスマホから老人の声が響くし、回線の繋がっていない受話器のベルが普通に鳴る。
 ま、人間に恐怖心を抱かせる目的で「殺してやる」「呪ってやる」を言うヤツが多いので、無差別に声を取り込んだら、その手の言葉を散々喚くと思う。
 最初に「ウザいことをほざくと、総ての記録を抹消して、『霊などいない』『心霊写真はたまたまか作り物』と言うぞ」と釘を刺す必要がありそうだ。本物・本気かどうかを確かめる無駄な時間を節約できる。
 私はあの世の者から見れば最大の味方だ。それに障りを送ろうなどとは言語道断な話だ。

 今回、「伝えたいことがあったから」と気付いた瞬間に、具合の悪い箇所が何ともなくなった。
 なるほど。ドアをノックするように、体のあちこちを必死で叩いていたわけだ。
 心の中も曇り空だったが、再び「お稚児さま」にあった直後のように青空が拡がった。

 もし語られることがあるとすると、その最大の焦点は、24、25に起きる大災害との関連だ。
 大半がイカサマ予言なのだが、何十人もの「予言者」が「日本に大災害が来る」と言っている。中には「日本人の八割が消え去る」と言うヤツも。
 仮にあの世の者が「伝えたいこと」が、その類の災害に関わっているのなら(=「残念なお知らせ」)、さすがにがっかりする。
 だが、その反面、正確なカレンダーが分かるのなら、生き残る割合を上げることが出来る。
 「声」を直接公表すれば、それを信じられる人が幾らか増える。

 

 追記)「予言の大半がイカサマ」だと思うのは、多くが乱発し過ぎだから。

 ある予言者は、毎月、「日本のどこかに地震が来る」と予言している。

 場所が日本なら実績があるし、地震がいつどこで起きても不思議ではない。

 「的中率が70%」だとかいう話は、当たらぬ予言を「なかったことにする」ことで達成されている。

 また、解釈する方が「当たったと思い込む」くせで、ただの思い付きや妄想が「予言」に化ける。

 「カラスが飛んで来て、双子に当たる」と言う言葉を聴いても、前世紀の人なら何も驚かぬわけだが、2001年の出来事を知った者なら、「カラス=旅客機」「双子=ツインタワー」と勝手に解釈してくれる。

 最初に予言?を残した者は、何ひとつ「飛行機」や「二つのビル」のことだと言っていない。出来事が起こった後で、後世の者がその出来事を予言に当て嵌めて「当たった」と解釈する。予言者が口にしたのは、現実のカラスの話かもしれんのに。

 カラスや双子を旅客機やタワービルとして解釈できぬのなら、その予言自体には何の意味もない。予言があってもなくても出来事に変化は生まれないからだ。それなら予言そのものに何ひとつ意味はないということだ。

 「可能性を警鐘する」目的にさえ使えない。当たろうが外れようが、何の意味もないたわ言に過ぎない。