◎病棟日誌 R061010 子どもは二人
朝、通院の途中で、駅まで妻子を送って行くと、唐突に家人が「この車には子どもが乗っていたね」と言う。
今回は急遽、繋ぎのために買った車で、中古の軽自動車だ。通院と通学の用途に半年一年使えればそれでよし。
「なんでそう思うの?」
「後部座席に、子どもが捕まるためのタグが残っているもの」
後部座席には、天井の近くに体を支えるための手すりが付いているのだが、それでは子どもの手が届かない。そこで紐(タグ)を垂らし、子どもが捕まれるようにする。
「子どもは二人。母親はダンナと離婚して、独りで二人の子を育てていた。でも病気になり、子どもらを遺して亡くなった。まだ四十台だったのに可哀そうだな」
「車屋さんで聞いたの?」
「いや。ただそう思うだけだよ。その女性がそう言っているような気がするだけ。ま、お祖父ちゃんと一緒に海に行った痕が残ってはいた」
砂とか、小さい貝殻の破片とか。
「今、その女性は俺の左肩のところにいて、あれこれ語る。左肩はやたら重いわ、腹具合は悪いわ・・・」なんてことはもちろん言わない。
ただの想像や妄想だが、当方の場合は、これが時々、現実と繋がることがある。
痛み止めを飲んでも全然効かぬし、副作用で胃が荒れて来たから、もはやガタガタ。これなら「あの世」方面も真面目に対策を打つ必要があるかもしれん。
病棟に入ると、このところ、ガラモンさんに連続してお菓子を貰っていたので、ガラモンさんのベッドまで行き、キャンデーを渡した。
五年間くらい、隣のベッドだったから、ほとんど友だちの感覚だ。ガラモンさんの息子が来ると、「週に3回は隣で寝てます」とからかったほど。
「元気ですか」と声を掛けて、テーブルにキャンデーを置いたが、隣のバーサン患者がじろりとこの様子を見ていた。
「なんでガラモンさんにだけ」と思った風な表情だ。この患者とは食堂で時d一緒になるが、短い挨拶を交わす程度。
時々、箱でとかケーキのやり取りもあるから、それも見ていたろう。深い意味はないと思うが、目が冷たい。
学部学生の頃に、暇潰しに場末のリーチ麻雀荘に入ったら、近所のバーサン三人組が相手だった。こういう感じの時には、流れがバーサンたちのものになるから、ツモまでおかしくなって来る。殆ど仲間内でしか打たぬから、変な癖がついており全員が似たような癖が癖があるからおかしくなる。
しゅうちゅすべく集中すべく対面のバーサンの手元を注視していると、そのバーサンが「何を見ているの?」と訊いて来た。
イライラしていたので、「いやあまりにも奥さんが美人なので」とテキトーに答えたら、その瞬間、他の二人の表情が変わった。それまでバーサンたちでカアカアと雑談をしていたのに、それがピタッと止まり静かになった。そこからはどこかギクシャクした。後で考えたが、微妙な格差が生じたわけだ。あそこは「奥さんたちが」と言えば、空気が変わらなかった。当たり前だが、金のやりとりをしている相手のご機嫌を取ったり、仲良くなったりする必要はない。早々に引き上げた。
ちなみに、他の3人が同じような打ち手だと似たような現象が起きる。独特の偏り方をするのは不思議だ。
教訓は「女は人を羨むが、男が羨むのは境遇」ということ。
似ているが、全然違う。
車の前の持ち主の女性は、腹部の癌がもとで亡くなった。子宮か大腸だ。のちには骨にも転移した。
後部座席の吊り手タグは昔の名残で、子どもは中学生の息子と小五の娘だと思う。子どもたちは分かれたダンナではなく祖父母の許に引き取られた。
さぞ心残りだったろう。
もちろん、ただの想像や妄想に過ぎぬが、心情を理解し受け入れることは出来る。で、それを心掛けると、痛みが消えて行く。
除霊浄霊を施せば、追い払うことは出来るが、それでは理解が出来ない。悪意のない者を無下に追い払うことはしない。
自撮り画像を見ると、あちこちに煙が出ているから、いずれその女性を出して見せられると思う。