日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

(日高・飯能) 約束を破るのはいつも男 (116)

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連休中に高麗神社に行っても、コマちゃんには会えませんでした。
参拝客の数が多かったのと、犬を連れて来る人が多かったせいだろうと思います。
そこで連休明けの木曜に行ってみました。
このところ体調がイマイチで、仕事らしい仕事ができず、寝たり起きたりの生活ですが、20分弱の移動だけならなんとか。

平日ですが、境内には、思ったより参拝客がいました。
鳥居に近づくと、脇の方にコマちゃんが寝そべっています。
回りに他の参拝客が大勢いましたので、最初はこちらに気づかなかった模様です。
他のお客さんにも可愛がってもらった方が良いので、少し離れたところから見ています。
すると、程なく気づいて、一目散に走り寄って来ました。
お腹が空いていたのですね。

回りの人は変に思ったでしょうが、人がたくさんいるのに、猫が1人のオヤジにまとわりついてじゃれていたのは、これがマグロ缶を食べさせてくれるオヤジだからです。

帰路、また近くを通ると、また走り寄って来ました。
体を擦りつけた後で、すぐ目の前で横になり腹を見せます。
「撫でて行け」という意味です。
しばらくの間、体を撫でてやりました。

以前は首輪をしており、体毛もきれいでしたが、今撫でてみると、体が埃で汚れています。
妻の説では、たぶん、お爺さんかお婆さんに飼われていたが、飼い主が亡くなるかなどの事情で、今は野良猫なのではないか。
もしそうなら、不憫ですね。
下腹が腫れており、何か病気があるらしく、明らかに弱っている時もあります。
「お前が姿を消すのと、俺がここに来られなくなるのとどっちが先になるかねえ」
「車に轢かれるな」「皆に愛想よく振る舞え」と言い残して駐車場を出ました。

生き物に対する情には、人間に対するそれと違い打算が無いので、一段澄んでおり、思い入れが深いような気がします。
それもあるためか、動物と人間が情けを通じ合う昔話が沢山ありますね。
皆に知られているのは「鶴の恩返し」ですが、これと同じような昔話は沢山あります。

私が一番気に入っているのは、東北地方の「魚の女房」です。
川魚を獲って暮らしている漁師が、ある時、一匹の魚の命を救う。
すると程なく、その漁師の家を美女が訪れ、漁師の嫁になる。
その嫁は、料理が上手く、とりわけ味噌汁の味が格別に美味かった。
漁師が「どうやって作っているのか」と尋ねても、嫁は答えない。
嫁は「私が料理をしているところを見てはいけません。もし見たらお別れです」と言う。

ところが、やはり夫の漁師は秘密が知りたくてたまらない。
「見てはダメ」と言われるとなおさら見たくなる。
しばらくは我慢していたが、「嫁が料理をするところを見て何が悪い」などと、自分を正当化する理由をこじつける。
そして、厨房で働く嫁の姿を盗み見してしまうのです。

ここからがスゴイです。
嫁は微温湯を盥に入れると、そこでなんとお尻を洗うのです。
元が魚なので、そうすることで出汁が出るのです。
(「ぎゃあ~!」という声が聞こえそう。)
これじゃあ、確かに他人には見せられない。

盥の中に尾びれが見えたので、漁師は自分の嫁が「かつて命を助けた魚」だと言うことを知ります。
しかし、漁師が嫁を盗み見たことを、本人に知られてしまいます。
あとはお約束の通りです。
嫁は「これでお別れです」と言い残して、崖の上から川に身を投じます。
水に落ちると、嫁の姿は魚に変わり、その魚はそれまでの記憶を総て失い、泳ぎ去ってしまいます。

ここまでは「鶴の恩返し」と同じ流れです。
ですが、この話にはまだ続きがあり、これはこの「魚の女房」だけのエピソードだろうと思います。

漁師は自らの過ちのため、嫁を失ってしまったのですが、どうしてもその嫁のことが忘れられません。
そこで、毎日、嫁が姿を消した川の淵に立ち、川面を眺めます。
いつかあの嫁が再び姿を現すのではないかと期待したのです。
それから数十年の月日が経ち、ある日、川が氾濫します。
年老いた漁師はいつも通り、思い出の場所に行きますが、そのまま戻っては来ませんでした。

話の細部は、その地域によって相違があると思います。
見てはならないものを、我慢できず、つい見てしまう。
去った伴侶のことが忘れられず、その後も背中を追い続ける。
「男ならでは」の観があります。

これとは逆に、女の方が見てしまう話もありますが、この場合は欲に絡んだ話で、その結果、その女は手痛い罰を受ける、てな結末になってます。