日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

違和感

博打をしたバドミントン選手について「協会が処分する」という話ですが、真っ先に処分されるべきは自分ではないのか。

スポーツで国際大会にも出場する一流選手になると、子どもの頃から競技三昧。
勉強はしていないことが多いし、付き合うのが競技関係者ばかりなので、社会常識だって欠如しています。(そうでない人もいますよ。念のため)
それを教育し、一線を踏み越えないように指導するのが協会の務めだろうに、「線を超えたからこいつらはダメ」と、お前が言うべき立場ではないだろ。

最初にすることは、この流れですよ。
まずは「協会の指導が行き届かず、申し訳ありませんでした」と頭を下げる。
そして、これまでどのような指導をして来たかを公表し、それが適切であったかを判断して貰う。
その内容によって、選手個人に責任があるのか、指導の仕方に責任があるのかが見えて来ます。

プロ野球と比較されますが、野球では過去に八百長事件などの経緯があり、選手教育がシステムとして組み込まれているので、条件がかなり違います。

一般人でも「これは犯罪だ」だのとエラソーに言う輩がいますが、選手は犯罪行為などしていませんよ。
賭博で逮捕されるのは現行犯のみで、カジノに警察が踏み込んで、そこで捕まった場合を除き、遊んだ人が逮捕されることはありません。
ここは窃盗や覚せい剤などとは根本的に異なるところ。

桃田選手などは、自己申告によれば、カジノに通ったのはわずか6回で、既に1年前には止めています。
その辺、世渡りが上手ければ、「これはやっては行けないことだと思い、自ら止めた」などと言いますね。
ところがそんな取り繕いもしないのは、基本的に正直だからです。
「好奇心でちょっと行ってみた」はウソではない。

線から少し出ても、きちんと戻って来られるのであれば、目くじらを立てて謗る必要はありません。
「じゃあ、その分は社会奉仕で返して。子どもたちに指導するのを20日」くらいの判断にすれば、懐が深い対応です。

例えば「スピード違反」はれっきとした違法行為ですが、その場で摘発されなければ捕まることは無いです。
なんら証拠を上げずに、「あの時スピード違反しただろ」と断罪されることもない。
本人が「スピード違反していました。今はやっていません」と言っているのに、「ならお前は死ね」と言うのが当たり前のことですか。
もう1人の選手と決定的に違うのはこの辺の事情です。

私が協会長なら「我々の責任なので、私を含め幹部が責任を取ります」と辞職します。
その上で「選手たちには責任はない。どうか出場させてやってくれ」と頭を下げて回りますね。
もちろん、選手には「お前らのせいでこうなった。社会人とはこういうものだ。これからはよく考えて行動しろ」ときつく諭します。
桃田選手の方はもう十分に思い知ってますよ。

何だか、この世にはそこらじゅうに「裁判官」がいるようであきれます。
「スピード違反」や「信号無視」などに至るまで、一度も触法行為をしたことの無い人ばかりなのですね。

以下は追記です。

日曜朝の某テレビ番組で、世論の流れに乗ろうとしたのか、テリー伊藤のヤローが「八百長に結びつく可能性があるから」見過ごせない、みたいなことを言っていました。
おいおい。「可能性」で人を罰するなよな。
バドミントンで八百長だと。いったい誰が胴元をやってるんだよ。
野球は現実に存在しているが、バドにはない。空想妄想で物を言うな。
「恰好がチャラい。勘違いしている」だと。
見た目は関係ないだろ。
それを言うなら、お前のほうがよっぽど貧相だ。
ズルそうだし、調子に乗ってる。

可能性は事実ではない。
「会社の同僚(女性)と食事に行ったから、あなたは浮気をする可能性がある。だから今月のお小遣いはなしね」
妻がこう言ったなら、ダンナは切れますよ。

スポーツの先輩後輩の関係なら、先輩に「連れてってやる」と言われれば、嫌も応も無いおです。
それを6回だけできちんと止めている。
逆にもの凄く評価できると思います。
「また行こう」と誘われたのを、よく断れたよな。

こういうのを否定するのは、やはり文系、文化人です。
スポーツの上下関係の重さへの理解力がない。
体育会系は、桃田氏のことを「可哀相だ」と思うことでしょう。

(再追記)
メディアやネットの雰囲気は、まさしく「魔女狩り」みたいになってます。
「若気の至り」という理解の仕方を知らないのか。