日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第491夜 悪霊払い

◎夢の話 第491夜 悪霊払い
 5月1日の午前0時過ぎに観た夢です。
 途中までは悪夢でした。

 瞼を開くと、オレは6畳くらいの部屋で横になっていた。
 「ここはどこだろ?」
 天井や壁の感じに見覚えがある。
 「昔、オレが暮らしていた家に似ている」
 オレの父は3度家を建てたが、その2番目の家の感じに近い。
 この部屋は、その当時オレが暮らした部屋に良く似ていた。
 「だが、どこか違う」
 印象が違うのは当たり前だ。今、目にしている部屋はかなり古びており、ガタが来ている。
 実際の家は、十五年前から倉庫だが、それでもここまで古くなってはいないのだ。

 薄暗い部屋の障子が開いており、窓ガラスにオレの姿が映っていた。
 「ありゃりゃ。中学生くらいだな」
 それなら、すぐ近くに両親が居る筈だ。父母はどこだろ。
 すると、頭の中に答えが響く。
 「親父やお袋は向かいの家で寝ている」
 道の向かい側には、最初に暮らした家があったのだが、これは20年前に取り壊している。
となると、これは夢だ。
 「オレはまた夢の中にいるのだな」
 よくあることだが、夢の中なのに、自分が夢を観ている事に気付いていた。

 半身を起こし、周囲を見渡す。
 「わ」
 オレは思わず声を上げてしまった。
 窓とは反対側の薄暗がりに、誰か人がしゃがんで居たのだ。
 坊主頭だから、おそらく男なのだろう。
 「誰だよコイツ」
 言葉には出さず、頭で考えただけだったが、それにその男が反応した。
 男が顔を上げ、オレの方を見る。
 薄気味悪い顔だ。
 痩せて頬がこけ、目の周りに隈が出来ている。
 しかし、男の顔はまったくの無表情だった。
 「この感じは生きている者の顔つきではない。悪霊だな」
 男はこれにも反応し、大きな目玉をぎょろつかせた。
 こういうのは、夜中の街を歩いていると、時々出くわす。
 電柱の陰とか、ビルの脇のところに、ただじっと座って居るのだ。
 あの世の話が好きな者なら「地縛霊」と呼ぶだろうが、カテゴリーで分ける事にはほとんど意味は無い。

 「おい。お前は何故そこに居る」
 オレがそう問うと、男が答える。
 「俺はお前に取り憑いて、仲間にしてやろうと思っているのだ」
 その途端に、オレの鳩尾がぎゅうっと重くなった。
 すぐに、手足の自由が利かなくなる。
 「見た目より、性質の悪い奴だったか。それなら」
 悪霊払いが必要だな。
 ところが、死霊払いの祝詞も、般若心経も、さらには九字すら出て来なかった。
 最後のはたった九文字なのに、半分も思い出せない。
 「これもお前の仕業か。どうやら本気で悪さをするつもりなんだな」
 だが、オレは少々焦った。
 どうやって、コイツをオレの夢から追い出せば良いのか。

 ここで、不意に父の言葉が甦った。
 「お経でも、真言でも、言葉そのものにはほとんど力は無い。鰯の頭も信心から、と言うだろ。信仰や信念があってこそ力は生まれるのだ」
 例えば、野球を思い浮かべると良い。
 バットを持ち、バッターボックスに立っても、日頃から練習を積み重ねて居なくては、投手の投げる球を打つことなど出来ない。バット自体には何の効力もなく、打者が「如何にタイミングを合わせて、力強く振るか」ということに尽きる。
 ここで言うバットが、お経とか真言にあたるわけだ。
 「そっか。文言ではなく、念を込めることが重要なんだな」
 力強く念を込める事が出来れば、圧力が生じる。悪霊はその圧力を感じ取り、いよいよ押されたとなると退散するわけだ。
 よし。じゃあとりあえずこれで行こう。
 「へのへの・・・。もへじ!!」
 これで悪霊の表情が変わった。それまで無表情だったのが、少々ずっこけたのだ。
 「おい。なんだそりゃ。そんなものが俺に通用すると思っているのか」
 オレは意に介さず、呪文を唱えた。
 「へのへのもへじへのへのもへじ
 幾度も繰り返しているうちに、次第に言葉に力を込められるようになってきた。
 「お前は自らが居るべき場所に帰れ。へのへのもへじ!」
 手刀を繰り出し、悪霊を袈裟懸けに切る。

 これを何十回も繰り返しているうちに、九字の文言を思い出した。
 思わずほっとして、笑みを漏らす。
 「こっちなら、日頃から使い慣れている。さっきのは彫刻刀だが、こっちは刀だぞ」
 毎日練習しているから、十分に念を込められるのだ。
 オレが48回続けて九字を切ると、その圧力に押されて、悪霊から発していた禍々しい気配が次第に薄くなって来た。
 この辺になると、きちんとオレの頭は働くようになっている。
 オレはここで般若心経に切り替えた。
 「お前は結構、昔からこういうことをしている筈だ。ならお経を知っているだろ」
 般若心経は昔から悪霊払いの真言として使われて来たが、やはり言葉そのものに力がある訳ではない。
 このお経の効力は、皆が日々唱えているものだから念を込めやすいということと、そのお経のことを悪霊の方も知っている、という点で有効なのだ。
 今みたいに、お経そのものを知らない者が多くなると、あまり効力はない。
 お札の類も同じで、神社やお寺で買って来たものをただ貼るだけではあまり意味は無い。信じて念を込めることで力が生まれる。
 映画やドラマでは、懐から護符をかざして見せるだけで悪霊が怯んだり、退治できたりするが、絶対にそんなことはない。信仰(念)の伴わないものはただの木や紙だ。

 様々なまじないを唱えているうちに、部屋の隅の黒い気配が何時の間にか消失していた。
 悪霊は去るか、あるいは隠れるかしたのだ。
 「きちんと修業を積んだわけではないから、オレが出来るのはここまでだな」
 そろそろ目を覚ますことにしよう。
 そこで、オレはさっき寝ていた場所に戻り、その時と同じ体勢を取った。
 これは、寝た時と同じ状態で目を覚ますためだ

 横になると、すぐに眠くなってくる。
 次第に意識が薄れていく中で、オレは「こっちの世界の父母に会って置けば良かったかも」と考えた。
 おそらく父母は、昔通りの若々しい姿をしているに違いない。
 50歳くらいの活力が溢れていた頃の両親にまた会いたいよな。

 ここで覚醒。