日刊早坂ノボル新聞

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◎『北奥三国物語 鬼灯の城』  4)「過流」の章  (あらすじ)

◎『北奥三国物語 鬼灯の城』 4)「過流」の章  (あらすじ):盛岡タイムス連載中

 天正十八年十二月に至り、釜沢館を沼宮内(河村)治部が訪れる。
 治部は開墾や用水路普請について、指南を受けに来たのだ。
 しかし、折悪しく、ちょうどその時に、領境でいざこざが起きる。
 四戸領の百姓が釜沢に進入し、略奪を働いたのである。
 さらに、その百姓たちの後ろには、四戸の他、九戸方の軍勢が控えていた。

 その時、小笠原重清の配下はわずか十数騎。見張りに出ている隊を呼び戻しても、せいぜい六七十である。
 だが、このまま捨て置くわけにはいかない。
 重清は出陣し、馬渕川を挟んで百姓どもと対峙した。
 果たして、百姓の間には侍が混じっていた。
 もし、川を渡って攻撃すれば、「釜沢が攻め入った」という口実で、こちらを攻め取ろうという腹が歴然である。
 重清は一計を講じ、敵の侍を討ち取る。
 四戸軍が殺到した時、北の方角から三戸軍が寄せて来た。
 前は九戸方、後ろは三戸方に囲まれ、重清は緊張する。

 しかし、三戸軍は蓑ヶ坂にいた東信義が三戸防備のために出陣したものだった。
 重清は東信義とは親交があり、けして敵ではない。やはり信義は偵察を兼ねて出陣しただけで、その場は上手く収まった。

 その夜、重清が眠れずにいると、寝所に桔梗が手炙りを届けに来た。
 桔梗は重清の心を癒すべく、己の着物を開いた。


(ひと言解説)
 小笠原重清は、ついに宿敵目時の人質(正室)と関係が出来てしまいます。
 北奥の中で、釜沢が優良な田畑を持っていたことで、周囲から狙われるのですが、その他にも相克を生じさせる要因が生まれました。
 この後、一月には九戸、三戸の年賀式が催されますが、北奥が次第に二分されようとする最中にあり、重清は決断に迷うことになります。