日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎26日の夜のオヤジとオバサンのために

◎26日の夜のオヤジとオバサンのために
 1日遅れましたが、「メリークリスマス」です。
 子どもたちが小さい頃には、毎年、ケーキとミートソースを作り、近所の子どもらにまで振舞ったものです。
 子どもたちが大人になったら、クリスマスはそれぞれのパートナ-と過ごすようになり、親のところには戻って来なくなりました。
 ま、それでいいのだと思います。

 私が子どもの頃には、父の店でクリスマスケーキを売っており、それが売れ残ると、26日に家族で食べました。
 でも、25日の夕方には値引きをして売り切ってしまうから、クリスマスにケーキを食べた記憶はほとんどありません。
 一度だけ、父が商品とは別にアイスクリームケーキを買って来て、26日にそれを食べたことがあります。
 「この世でこんな美味しいものがあるのか」と思ったものです。

 12月も20日を過ぎると、商店は1年で最も忙しいシーズンに突入します。l
 31日の夜まで働きますから、小学生の時に紅白を観たことがありません。
 その頃には店の営業は終わっているのですが、疲れているので、風呂に入るとすぐにコタツで寝てしまうのです。
 休みは元日の昼だけで、その夜からは正月料理の仕込みで、また働かされました。
 しんどかったが、何せ昭和40年代の前半で景気が良かった。
 働けば働くだけ、バクバクと金が入りました。

 小学校の3年の時には、人手が足りず、私は店の「外配」担当になり、新巻き鮭や真鱈を箱売りしました。
 その年には年末年始の間に何百万か売り、30万くらいの歩銭(割り当て報酬)を貰ったのです。その辺、父は約束を守る人でした。
 大卒の初任給がまだ3万位の時の話で、千円札の半分がまだ聖徳太子でした。

 それが昭和の話ですが、もはやその後の平成も終わってしまいます。
 「平成元年」なんて、「ついこの間」の感覚なのに(苦笑)。
 どんどん時が経って行きます。

 もはやジジババの年齢になり、クリスマスは家人と二人で過ごすようになっています。
 だが、子どもたちと過ごしたクリスマスの思い出があるので、結構、楽しく過ごせます。
 親の務めは25日の夜までありますので、親たちにとってのクリスマスは26日の夜でしょう。

 今は心寂しい大人たちに、26日の今夜、「メリークリスマス」という言葉を贈ります。