日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病院にて

◎病院にて
昨日の話です。
 病棟に入ると、何やら大きめの声で話す声が聞こえました。
 声の主は50台の女性で、チーフ看護師相手に愚痴を零しています。
 「私は今晩にも死んでしまいたい。首を切ってしまおうかと思う」
 この女性は、ダンナさんに先立たれ、今は障害者の身の上です。
 子どもはいません。
 自分のことだけでも大変なのに、以前、「静岡に住む叔母が一人暮らしをしているので、週に2回世話をしに行く」という話をするのを聞いたことがあります。その叔母さん(たぶん80台)も夫はおらず、子どももいません。
 さぞキツいだろうと思います。
 体力的、精神的な負担が大きいので、階段で転んで脚の骨にヒビを入れたり、そのせいで足元が覚束なくなり、さらに転んで腕を骨折する。そういう展開になっています。
 それじゃあ、ウンザリしてしまうことが幾度もあると思いますね。

 状況を変えたくとも、しかし、こういうのは急に変るものでもありません。
 そうなると、せめて気分を変えて、前を向けるようにする必要があります。
 相談したり、愚痴を零したりする相手がいれば良いのでしょうが、50台60台になれば偏屈にもなるし、また周囲も自分のことだけで精一杯です。

 もう十年もすれば、同じ状況の人が何十万人と増えます。
 福祉や介護に至る手前で、相談を受けたり悩みごとに耳を傾けるサービスというのもありだな、と実感しました。

 このひとの場合は、枕元に水を入れたコップを置くだけで、少し改善されると思いますが、さすがにそういうのは口には出せません。
 助言するには、「あの世」に関わる説明が必要ですが、いきなりそんなのを話すヤツは宗教関係者や「変わり者」に見られてしまいます。
 文字では読み手が読む・読まないを選択できるので平気ですが、口頭だと強制力があるので、話題にすることはありません。

 ブラジルに、病人に軽く触っただけで病気を治す少女がいますが、それで治るのは半分くらいだと言います。
 たぶん、治るのは「信じる人」「信じられる人」だけです。
 病を改善させているのは、その少女ではなく、患者自身の心だと思います。
 もちろん、「そういうこともある」という次元の話です。

 神棚にお神酒を上げて、拍手を叩く。
 その時に、感謝の言葉を口に出して言う。
 寝る時には、枕元にコップの水を置き、やはり感謝の言葉を述べる。
 これを毎日続けると、少しずつ改善されます。
 「誰か」が良くしてくれるのではなく、そのことで自身の内面が整って行くのだろうと思います。