◎バスの「駅」 兼「門脇佳奈子さん引退」の件
コーヒーを取りに階下に降り、レンジで温める間にテレビを点けた。
すると、テレ東に門脇佳奈子さんという女性タレントがリポーターで出演していた。
この子は好きなタレントの一人なので、足を止めて眺めた。
「タレントの割には言動が一般人の常識の範囲内にある」から、余計に清楚に見える。
こんな子が自分の娘だったら、気合を入れて御馳走を作ると思う。
そんな眺め方だ。
この日の番組自体は、おそらくかなり前に撮影したものだろう。
バスに乗って、田舎道を移動するのだが、途中でこの子が感想を漏らした。
「この辺の駅には、まったく人がいませんね」
え。「駅」って言った?
おお。この子は関西出身だったと思うが、間違いなく「田舎の子」だ。
(実際は分からぬが、私はそう思い込んだ。)
バス停を「駅」と呼ぶのは、線路が通っておらず、「公共交通機関がバスだけ」の地域だ。
そういう環境で育ったから、バス停を指すのに、自然と「駅」という言葉が口をついて出る。
「駅」を紐解くと、元は「驛」になる。
ネット辞書によると、「睪」は音を表す部分であるが、この字はもともと「目+幸(刑具)」の会意文字であり、罪人を「次々と連ねて」面通しするという意味を持つ、とある。
主に「たぐり寄せる」という意味で用いられる。
これに「馬」を合わせることで「一定の距離を置いて次々と連ねて設けた、馬を乗り換えるための中継所」を表し、宿駅としての「駅」の意味に通じるようになった。
そうなると、元は「馬」に関わるものだから、軌道とは関係ない。
すると、鉄道の「駅」よりも、バス停の「駅」の使い方の方が、本来の意味に近いと思う。
目の付け所が少し変わると、「馬場」や「馬場街」も似たような意味を持つ地名だ。
馬を繋養する場所や、騎馬修練所、または「馬の乗り継ぎのため設けられた場所」を指す。人ではなく馬に重点を置くと、こういう言い方になる。
馬を取り換えるために設けられており、宿屋なども取り揃えていると、「馬場街」となるようだ。
自分の生家が「馬場」という地名だったので、馬に関わる話だと、思わず聞き入ってしまう。
ここで気付くが、なるほど、門脇さんを見て「この子は良い娘だな」と感じていたのは、「田舎育ち」を直感的に見取っていたからのようだ。
それでも大阪府出身らしいから、「田舎育ち」は単なる思い込みだったのかもしれん。
それはそれで、「人柄の良さ」を表すのだろうから、言わば人徳だろう。
先ほどネットで調べたが、門脇さんはこの三月一杯で、タレントを辞めたらしい。
まだ二十台の初めだから、芸能界の垢がつく前に辞めるのは正解だと思う。
もちろん、この子が周りに醸し出す「穏やかな空気」を見られなくなるのは、少し寂しい。
やはり、自分の娘が遠くに行ってしまうような心持がする。