◎古貨幣迷宮事件簿 「珍開左駒 母子」
処分品の開設シリーズの続き(NO.4)。
実際に使用した「母銭」はひと目で分かる。
母銭の耐用回数について、鉄瓶製作者に訊ねたことがあるが、その答えは「実際に貨幣を鋳造したことが無いのではっきりとは分からないが、八百回から一千回ではないか」というものだった。
鋳砂の表面は割と固いから、それだけの回数に渡り踏み固めていれば、次第に摩耗して来る。製品の意匠がぼやけて来た頃が使用不能(または不適)になるということだろうから、擦り減っている。
この場合の擦り減り方は、山部分も谷部分も一様だが、横に動かすわけではないので、表面に線状の瑕(きず)が付かない。
要ずるに、「擦り減っているのに瑕が少ない」という特徴になる。
これによく似た擦り減り方をするのが、パチンコの玉磨きに貨幣が混入した場合だ。
このケースでも、全体が著しく摩耗するが、とりわけ山(盛り上がっている方)の部分の摩耗が激しくなる。これはパチンコ玉に「打ち当たって」減ったものだからだ。
よって、拡大して観察すれば、簡単に区分出来る。
収集家はとかく美品・未使用品を求めるが、「どのように使用されたか」が痕として残っていれば、真贋鑑定に役立てられる。未使用の使用痕の無い品では、最近作った品と区分することが難しくなる。
絵銭の場合、出来の良い品を加工して母銭に仕立てたようで、サイズにもバラエティがあり、意匠の変化も多い。
大量鋳銭の通貨の場合は、職人を多数使役するので、母銭を作る工程が先にあり、次に材料総てを取り揃えてから、通用銭を一気に作ることが多かったようだ。「一気に」というのは概ね十日間から二十日間程度のことを指す。
幕末でも、職人一人を雇うのは「日に二百五十文(金一朱相当)」かかった。
人件費を抑えるためには、とにかく流れ作業的に次から次へと鋳銭する必要があった。この工程は銭座によって事情が異なるから、それが少しずつ製品に反映される。
要は「どう作ったか」「どのように使われたか」という「成り立ち」を知ることで、最近作られたまがいものを収集対象から除外できる(かもしれない)。
画像の和同珍開・左駒は割と古くに作成された品で、その後長きにわたって製造された縁起の良い絵銭である。
ちなみに、従来の収集はまさに道楽であったから、古銭を人(主体)に見立てて、それがこちらを向いた時を基準に「右」「左」とする。よって、この図案では右側に馬が配置されているが、「左駒」と称する。
若年収集層が激減している今、伝統的な習慣を固持していると、さらに若者を遠ざける。こういうのは「見えた通り」に「右駒」と改めた方が合理的だと思う。
すそ野の広がりを持たぬ芸能(?)には未来はない。年寄りの道楽なら、その年寄りが死ねば終わってしまう。