日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎古貨幣迷宮事件簿 「元は白銅」

f:id:seiichiconan:20220220180938j:plain
f:id:seiichiconan:20220220180929j:plain
f:id:seiichiconan:20220220180917j:plain

◎古貨幣迷宮事件簿 「元は白銅」

 画像は薩摩天保だ。二十年近く前には、いずれも真っ白だったが、窓の桟に放置していたら、次第に普通の薩摩銭に近づいて来た。

 なお、目視する時と画像の見え方は少し違い、直接見た方が白く見える。

 

 三十年くらい前に、ある業者さんから薩摩白銅(純白)を買ったのだが、どうにも金の配合に不審点がある。そこで湯口付近を少し擦ってみたらメッキ銭だった。

 「薩摩白銅にはこれがあるから注意しろ」とは言われていたが、上手く上に古色やほんの少しの錆まで乗せてある。

 そこで、購入先の業者さんに持参し、「別に良いのが入ったので、これは六割で引き取って下さい」と依頼し、引き取って貰った。

 「これは贋作だから返す」と言えばちょっとした悶着になる。かつ、ごく一部とはいえ、輪を擦っているのだからそもそも「返品」は出来ない話だ。

 「六割で」と言えば、業者さんは四割の利益が確定する話だから、まずは断らない。

 ちなみに、同じようなケースが別の業者さんで天保小判でもあった。鑑定書付きだったのだが、そんなものは紙きれだ。骨董品は買い手が「良い」と決断したから買うのであって、最初からボールは買い手にある。

 購入後二三日中ならともかく、後になり「偽物だった」「高かった」等と言い出すのは、「自身の目が利かない」ことを証明するものだ。

 逆の場合は100パーセントの人が黙っているし、「俺は目が利く」と自慢する。

 

 その当時は「四割で経験と知識が得られるなら安いもんだ」と思った次第だ。

 後で「まったく別物」と分かることもあるが、それを他人のせいには出来ない。

 一枚一枚の「手の上の金屑」を見て、何かが「分かったような気がする」こと自体、「何も分かっていない」ということだ。孫の顔を見て、ジジババの追い立ちを語るのと同じ。基本は「分からない」のであって、殆どが憶測だ。

 逆の場合(ジジババから孫を想像する)は、ソコソコ言えることもある。

 

 さて、その頃に「地金」について興味を持ち始めたのだたが、天保銭収集の盛り上がりが下がった頃に、改めて「薩摩白銅」と「薩摩白銅質」を買って実験することにした。値段は最盛期の半値以下になっていた。

 当初、「白銅」は「少し黄色がかった白」、「白銅質」は「僅かに黒みがかった白」色だった。

 ちなみに、金属成分上の「白銅」は、色合いが黄色っぽくなるから、見た目の分け方自体は合っている。

 これらを主に窓ガラスの内側に放置し、日光と風に当て、表面が変色するのを待った。それから二十年以上が経ったが、見ての通り、ほとんど普通の薩摩銭の色に変わった。

 要は最初の白色は「出来た時の状態が保存されていた」ことによる。

 ただ、依然、左の方は幾らか艶が残っている。これは画像には出ない。

 

 今では「何故どうして」こういう経過を辿るかが分かったので、「いつでも元の白銅銭に戻せる」と思う。性格が悪ければ、色を元に戻して、収集家を試すだろうが、既にそんな興味も薄れた。

 

 古色変化ひとつを学ぶのに、二十数年もかかるのだから、古貨幣収集にはよほどの時間が必要だ。

 今では鋳銭を直接見たものは居ない。文字テキストの知識と先入観を打ち破るためには、多少時間がかかっても「実際に実験して確かめる」姿勢が重要のようだ。