日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎古貨幣迷宮事件簿 「追加整理品あれこれ」

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◎古貨幣迷宮事件簿 「追加整理品あれこれ」

 ようやく時間が取れ、今日は途中で中座するものの、終日、蔵品整理に充てる予定だ。何せ時限爆弾を抱えた身でもあり、今日と同じ明日はもう来ない。

 

G2 鐚銭など一括

 加治木銭などを別に取り置いていたもの。枚数も数えていない。もちろん、分類、状態もノーチェックということ。当たるかもしれぬし、何もないかもしれぬのは、「雑銭道」ではごく当たり前のことだ。

 多少面白い品が目についたが、明らかに鐚式で筑前洪武と同じつくりをしているが、書体が異なる品がある。また「洪」字の右に玉が函入してあるが、意図的なものだ。

 砂笵式の製法で、このかたちの玉が偶然に出来ることは無い。

 砂笵の砂は母銭を載せる時には、ほぼカチコチの状態となっている。髪の毛、木屑は混入しても玉が出来ることは無い。

 きちんと研究すれば「化ける」と思う。

 

N056 南部梅松天神 母子組

N060 南部白銅七福神

 南部銭で白銅銭は必ずしも多くないのだが、現実に存在している。梅松の銅鉄は直接の母子ではないと思われるが、同じ系統の深掘母銭を使用している。

 鉄銭の地金が北奥一帯のどの辺かがよく分からぬのだが、なるほど二戸(盛岡領)と見なせば筋が立つ。純白の桃猿駒銭について、「二戸の未知の密鋳銭座のものと伝えられる」と記したが、この銭座には同じく純白の「白銅背盛」の母銭が確認されている。

 背盛の母銭があるということは、「鉄銭も作った」という意味に外ならない。

 この地方に、白銅母と鉄銭のセットが系統的に存在して居そうだが、何せ存在数があまりにも少なく、追究に時間が掛かる。

 この系統の品は鉄銭研究の流れの中にあるわけだが、何せ、鉄銭を真面目に研究しようとする者は数えるほどだ。大半が銅母を一枚持てば、それで終わりだから、寛永銭譜に「密鋳銭」「ボウ鋳銭」として拓が一枚掲示されるだけとなる。

 解説は「色んなものがある」。要は誰も興味を持っていないのだ。

 ま、この分野は従来の型分類では太刀打ち出来ぬから、製造工程に関心を持つ者の独壇場となるだろう。想像よりもはるかに置くが深いので、頑張って欲しいところだ。

 

N059 念仏手替

 この図案は江戸の銭譜にも掲載されていたと思う。ただ、地金自体は明治以降のものではないかと思う。背面の図案は決まった名称があるが、何と呼ぶかは失念した。

 この背の絵柄で、銭譜に未掲載の南部銭があるので、注意深く観察することが必要だ。

 

N058 仙台桃猿駒 大型

 この品はうっすらと青錆が出ている箇所があったのだが、青錆には「状態に影響の少ない青錆」と「地金に食い込んだ青錆」という性質の違いがあり、当品は前者である。

 鹿角を使用するだけで、簡単にクリーニングできるし、薬品を使わぬので後の状態への影響もない。

 区別のつく人はいないと思う。ということは、この性質の青錆はあまり気にする必要がないということだ。(ま、見極めには経験が居る。)

 

 一方、付け錆には付け錆の特徴が出るから、皇朝銭の「出土銭風」の品などは、錆を検証するだけである程度真贋鑑定が可能になる。

 今は大陸で盛んに日本の古銭が製作されているわけだが、彼の地の嗜好は「青錆のある品の方が風格がある」とするきらいがある。

 出来の悪い安価な品を入手してみて、錆取り実験をして確かめるのが役に立つ。

 

C31 盛岡藩 鹿角花輪 伊勢屋庄六 銭五十文

 花巻の馬喰(牛馬商人)である及川屋清兵衛は、八戸藩から蝦夷地に渡り、その後松前から鹿角に戻って来た。鹿角で病死または変死したようで、懐中の札類が花輪商人で途切れている。

 伊勢屋(表記は「伊勢や」)庄六は、幕末盛岡藩の「御用金番付」(「御用金」は御用商人のこと)に「花輪 伊勢屋庄六」として掲載されている。

 なお、鹿角商人の札類は希少札でほとんど出て来ない。この数年で市場に出た品は総て私の蔵中にあったものだ。

 

C32-33 松前 沖口役所 (通行手形)

 船で松前と行き来する際に発行された通行手形である。

 紙幣(公札・私札)ではないが、古札類の中で非常に周知されたものである。

 掲示の品は双方とも八角印が押されているが、複数種あるようだ。 

 

 出入りはあるが、深夜まで追加整理をする予定。

 なお、これまでの掲示品について値下げをした品もあり、この後は早い者勝ちとなる。

古貨幣迷宮事件簿

 

 注記)いつも通り、一発殴り書きで推敲も校正もしない。自身の確たる見解を持って判断してください。