日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎やはり霊障だった

やはり霊障だった

 週に三日は病院で過ごすのに、今週は四日目の「循環器の定期検診」に当たっていた。

 バイタルチェックはもの凄く混雑しており、待ち時間がそれなりにかかったが、それを終えて、医師の問診の段になったら、待ち時間はほぼ五分だった。

 医師に「今日はどうなってるんですか?」と訊くと、「めぐり合わせで、たまたまそういう時もあるんですよ」との返事だ。

 検査結果は「問題なし」で、初めて薬がひとつ減った。

 

 昨年の今頃には、既に平地を五十メートル歩くのにため息を吐くほどだったから、ずいぶん違う。

 一昨年の秋の「あの一件」から、垂直落花式に体調が崩れ、三月から六月は息をするのもままならず苦しんだ。酸素ボンベを自分で買い、ひと箱丸々消費した。

 今年はスーパーの階段を上り、休まず二階に到達できる。

 「ガラリ一変」とはこのことだ。

 

 ま、理由ははっきりしている。

 「悪しき者が去り、本来の仲間が戻って来た」以外に理由はない。

 大関級の悪縁に寄り憑かれたからで、病気そのものが原因ではない。

 昨年、あれほど「(カテーテルを入れて)心臓を調べなければダメだ」と口にしていた医師が、この日は「まったく問題ないですよ」と言っている。

 治療方針は総て私の見解通りで、この一年は医師の方針に対し、ずっと首を振り続けて来たのだが、ほれ、結果的に私の方が正しかっただろ。

 「生き死に」は医療とは別の部分がある。そっちについては、私自身の経験値が最も信頼できる。

 

 「今、神社に行けば、自分自身の抱いているイメージ通りのことが起きる」

 そう思い、病院を出た足で、八幡さまに参拝した。

 結果は予想通りだった。

 しばらくは安全域のうち。

 (説明しても、殆どの人が分からないので、解説はなし。)

 だが、あの世との関わり方については、私の考え方が正しい。

 

 ちなみに、私の名前は、PCでは一文字だけ漢字が出ない。

 名付け親の祖父と親は知っているが、兄でも知らぬのではないかと思う。漢字が出ないので、ほとんど略字で通している。

 本名が分からぬと、呪詛の対象にはならんので、滅多に書かないし他人には教えない。