◎病棟日誌からの夢の話 6/17 徐々に元に戻る
便りが無いのは「具合の悪い証拠」で、コロナの後遺症がなかなか抜けない状況だ。
特に重いのが倦怠感で、「だるい」とか「疲労感」どころではない体の重さを感じる。二階への上り下りがしんどいし、立っていられぬことも多い。セミリタイア状態だから寝ていられるが、仕事を持つ身でこれなら、まともに働けぬだろうと思う。勤め人には厳しい事態で、かつ他の人には伝わらない。
感染した経験のある人でもその人によって個人差があり、ほとんど症状のない人もいれば、日々の暮らしに重くのしかかる人もいるから、しんどさを理解しては貰えない。「もう大丈夫なはずだ」と思われるし言われる。
実際のところ、味の感覚は戻って来たし、匂いも分かる。だが、コーヒーは依然として「雑巾水」だし、酒もかなり高級なヤツでないと受け付けない。それ以上に、立っていられるほどの倦怠感・疲労感が問題だ。
十七日土曜は通院日で病院で治療を受けた。例によって治療の後半から具合が悪くなったが、あれこれ処置されることや薬が増えたりするのが嫌なので、我慢して黙っていた。もし治療の影響ならこの症状が出ると私には「先はない」状況だが、たぶん、感染の影響の方が大きい。
普通に病院を出たが、途中で気分が悪くなり、スーパーの駐車場で少し休むことにした。
二階の障害者スペースに車を入れ、そこで小一時間眠った。
眠りにつく時に、「この駐車場には『怖い女』がいる」ことを思い出したが、既に身動きが出来ない。
ひと眠りして目が覚めたが、とても買い物ができる状況ではないので、そのまま家に帰ることにした。
もはや夕方だ。
今では「何か」が自分について来ているのであれば、車を降りた瞬間にそれとわかるようになっている。そもそも、いつも道を歩く時には後方に三㍍のところを「何か」がついて来る実感があることの方が多い。これは一昨年の「稲荷の障り」の経験で得た感覚で、十二キロの体重と引き換えに得た代償だ。
車を出て歩き始めたが、まったく異常はない。
「怖い女」に眼を付けられたりはしなかったようだ。
あの世に関わる事態で興味深いことがひとつある。
コロナウイルスに感染し、体内にウイルスが残っている時には、「あの世の者が一切寄り憑かない」状態だったことだ。近くにいればすぐに分かるのだが、まったくそんな気配がない。
私自身の生死にかかわる事態であれば、必ず沢山の幽霊たちが寄り憑いて来るはずだが、その気配が塵ほども無い。
もしかすると、幽霊たちはウイルスや感染症状が嫌いなのかもしれん。
幽霊は「感情だけの存在」だが、存在するには物的裏付けがある。普段は眼に見えぬ霧のような状態でいるのだが、しかし目には見えずとも物的根拠がある。ガラスに二重映りするし、影が出来ることもある。ちなみに、影は可視域の光のものなので、通常、幽霊の影はほとんど出来ない。
物的基盤を持つなら、物理的・化学的影響が生じても不思議ではない。
死期の到来を示す端的な傾向が「寄り憑き」なので、これが無いことで、今回の私は自身の死をまったく意識しなかった。日々の記録を見れば分かるが、発症後にはひと言も「感染死するかもしれん」とは書いていない。
ただし、感染して亡くなる人は沢山いた。これはすなわち「お迎えの来ない死に方」もあるということかもしれん。
コロナの場合、発症してすぐに心肺機能が損なわれ、血中酸素濃度が低下して、短時間のうちに意識を失う人が多かった。この場合はあまり苦しむことなく亡くなるそうだ。
自身で死を意識することなく、さらに死を誘うような者の存在も感じることなく亡くなったら、その先はどうすればよいのだろう。ちょっと想像がつかない。
さて、帰宅はしたがやはり起きてはいられない。
居間のテレビの前に横たわり、着替えもせずにそのまま眠った。
夜になり、娘を迎えに駅まで行ったが、依然としてしんどい。
帰宅すると、夕食を摂らずに、また眠った。
たぶん夜中の二時頃だったと思う。
私はやはり居間のテレビの前に横たわっていた。
すると、頭のすぐ脇に子どもが腰を下ろした気配があった。
一歳半くらいの男児で、私の「息子」だ。
薄目を開けて見ると、「息子」は瓶詰からスプーンで白玉を掬っては、小皿に移している。
父親が眠っているので、テーブルの上にあった瓶詰を自分で開けて食べようと思ったのだろう。
「フルーツと餡子が冷蔵庫に入っていたから、あれでみつ豆を食べるのだな」
そんなことをボンヤリ考えていると、そこはまだ一歳半の子どもだ。
白玉を入れた小皿を取り落とし、テレビの前にぶちまけた。
すると、居間の反対側にいた「娘」が、「あらあら、やっぱり零しちゃったね」と言った。
窓の近くには長椅子があるのだが、「娘」はそこでスマホのゲームをやっていたらしい。
この「娘」は十七歳くらいで、今も高校生だ。
そこで、その「娘」に声を掛けた。
「父さんがやるから、何もしなくていいぞ」
私はここで起き上がり、台所に向かった。
白玉を片付けるためのボウルと床を拭くための雑巾を手に持ち、元の位置に戻ろうとした。
すると居間は灯りが点いておらず真っ暗なことに気が付いた。
「あれ。おかしいな。さっきは明るかったのに」
壁のスイッチを押し、灯りを点けた。
ここでようやく我に返った。
「俺の息子は、今は背丈が百八十㌢台だ。娘たちはもう三十だ。ならさっきの息子や娘は誰だ」
部屋の中を見るが、居間には誰もいない。
私はボウルと雑巾を持って、カウンターの脇に立っていた。
「寝ぼけたというにはリアル過ぎるよな」
「息子」が小皿を落とし、「娘」が声を掛けて来たところまでは夢の中だ。
それに対し、私は返事をして起き上がり、実際に台所に向かった。
この「息子」も「娘」もこれまで何百回と見て来た子どもたちだから、改めてそれが「誰か」などと考えたりはしなかった。
私は自分の観た夢の大半を記憶したまま目覚めるから、繰り返しその「息子」や「娘」の出る夢を観続けて来たのだろう。
その「息子」や「娘」の名を呼んだことはなく、ただ「息子」「娘」という意識だけがある。
もちろん、夢は単なる「記憶の整理箱」で、様々な感情の記憶を整理して格納するためのものだ。
だが、その登場人物が独立して生きており、私の人格の一部とは言えぬ存在のような気もする。
この三週間は、これすらも意識することはなかったのだが、徐々にまた戻りつつあるのだろう。
そしてもう一つ、「息子」や「娘」が現実に独立した自我を持つ可能性もあると思う。
私自身が「穴」(あの世との交流点・結節地)で、幽霊たちの多くが普通に私を見ることが出来る状況にあるからだ。これは私が心停止した経験の後はずっと続いている。
三週間の空白があったが、これから私に最も身近なチーム員が戻って来る一方で、アモンら悪縁たち、「助けて下さい」とすがる女たちも還り来るのだろうと思う。
そんなのは前と同じなので平気だが、今の体の重さは何とかして欲しいと思う。
あの世的な対処法が通じぬので、如何ともしがたい。
ちなみに、今は自分自身だけでなく、他の人についても「後ろにこんな感じの者がいる」というのが分かるようになった。おまけに、それを写真撮影することが出来るだろうとも思う。
もちろん、言わぬしやらない。何故ならそれで嬉しいことなどひとつも無いからだ。