日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病棟日誌 悲喜交々 10/28 「寒中蕎麦」

◎病棟日誌 悲喜交々 10/28 「寒中蕎麦」
 通院は、日曜月曜と休みで、二日空くのは週末だけ。このせいか、ベッドで過ごす時間がやたら長く感じられる。
 普通の人であれば、金曜日と同じ感覚だ。
 看護師のウエキさんに、「土曜は普段より長く感じられ、退屈でたまらんのです」と漏らすと、「私もそうですよ。休みの前の日だから、早く帰りたくて仕方がないのです」とのこと。
 昼頃には「もう帰りたい」と思うそうだ。

 栄養指導の新人が来て、「今回カリウムが」の話をして来た。
 先週の検査では、検査値が7超えで、もはや発症水準だった。
 「豆乳を飲みましたね。ちと量が多過ぎた」
 牛乳はリンが多く飲めぬので、豆乳を飲むのだが、こちらはカリウムが多い。二杯も飲めば、もう許容量を超える。
 体育会系の若者が突然死するのは、運動のやりすぎで一時的に腎不全になるから。若者の腎不全自体は、休養と栄養を取れば回復するのだが、その時に「ヴィタミン補給」のつもりでオレンジジュースを多めに飲んだりすると、カリウムオーバーになる。
 血中7.5mEq/Lくらいで、心不全の引き金になる。
 腎不全患者だと、「西瓜をひと切れとトマトを二個」で救急車を呼ぶ事態になったりする。
 豆は高カリウム食品で、水に漬けても皮が邪魔をしてカリウムが溶けてくれぬので、加工食品でも高カリウムなそうだ。
 ちなみに、米は水に漬けるだけでカリウムが溶けるから、最初に漬け置きをして、五分後に水を取り替えて炊くだけで、全然違うそうだ。
 もちろん、健康な人は、腎臓がカリウムを排出してくれるから、ほとんど問題はない。あるとすれば、急性腎不全の時だけ。

 新人栄養士が去ると、五分ほどして、いつもの栄養士のババさんがやって来た。
 よほど「7超え」が目に付いたか。
 ところが、ババさんはいきなり「盛岡に行って来ました」と言う。
 時期的に「マラソン大会に出た」という話だな。
 盛岡では最高気温が13度くらいなそうで、「寒くて参った」らしい。
 「繋(温泉)の方は、市内よりニ三度低いから大変でしたね」
 「レースが終わると、いつも蕎麦を振舞ってくれるので助かるのですが、今年はそれが紫苑(ホテル)でした」
 「えええ。それって、レースの途中ってこと?」
 「そうです」
 たぶん、ゴールまではまだ十キロくらい走るのではないか。
 「有難い話ですが、途中で蕎麦みたいな消化の悪いものを食ったら、五百㍍先で腹が痛くなりますね」
 「タイムを気にする人は寄りませんでした」
 仮に当方が出たとしたら、途中からほとんど歩きだろうから、そこで寄り道をして蕎麦をご馳走になるだろうな。きっとお替りもして、そこでリタイア。
 「タイムとか着順を気にしない人なら有難いですね」
 ま、今の当方は百㍍の距離を走ることが出来ない。二キロ歩くのも無理。
 「ゴール付近いところに会場を設営するのが難しかったのでしょうね」
 「あと、途中の栄養補給で、南部煎餅が置いてありました。もてなしは有難いのですが、さすがに食べられませんでした」
 「げげげ。乾き物は一層無理だわ。お茶飲んで一服するならいいですけれど」
 「皆さん、バナナは手に取っていましたが、煎餅はさすがに」

 「ところで成果はどうでしたか」
 と、口を向けると、ババさんは胸を張って、「年齢カテゴリー別ですが二位でした」と答えた。
 すげーな。五十台で「大会に出る」のは日頃練習している者だ。その中で二位ならすこぶる優秀だ。
 ま、東京マラソンみたいなレースでも、ババさんは上位に食い込んでいる。

 こういう時の心得は、「誉め言葉は三倍の大きさで言う」だ。
 自意識の高い人ほど他人を褒めることをしない。「ふーん」てなニュアンスで受け止める。これを二倍の大きさで言うと、「わざとらしく」なる。褒めているのに、心がこもっていないように聞こえるから、「何だコイツ。バカにしてるのか」と逆に腹を立てる人もいる。
 ところが、三倍の大きさで、「そいつは本当にすげーな。たまげたわ」と言うと、わざとらしさが目に付かなくなる。
 何事も中途半端じゃだめだってことだ。

 ところで、ババさんが来たいいがのは、肝心の栄養指導の話が全然出て来ない。あれれ、どうなったの。
 その雰囲気を悟ると、ババさんは「今日は自慢しに来ただけですので」と言った。
 「いいですよ。スポーツの成果なんだから、どんどん自慢すべきです」
 中高年には、とにかく「前を向く」ってのが重要だ。自慢ぶりが鼻につくような者とは付き合わなければよい。
 他人の自慢に付き合えぬのは、自分が何も持っていないからだと思う。だから、他人を引き下そうとする。
 半島によくいるよな。そういう人種が。

 ここで気が付く。師長にせよババさんにせよ、当方のところに着て、専ら自分の話をする。
 これは当方がヒアリング歴が長いせいで、「聞く」のが職業病になっているからなのか。
 折り返し、つい三枚奥まで訊いてしまう。
 中高年になると、自分が聞き役で若い者からのクレームくらいしか来なくなるから、「話を聞いてくれる」というのは、人間関係のひとつのファクターになるわけだと思った。