日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎今日のセルフチェック 11/06 煙の中に

今日のセルフチェック 11/06 煙の中に
 家人を菊花展に連れて行ったが、私の方はあまり体調が優れぬので、車で待った。
 神社でセルフチェックをしたが、境内で見る限りでは、それほど問題が無いように見える。
 帰宅してから、画像をPCで見たが、各所に煙が出ている。
 この日は曇りだから、あまり日光の影響を受けぬ筈だが違和感がある。

 よく見ると、板塀の前に煙が出ているが、煙の中に眼や人影が蠢いているのが分かる。
 相変わらず、かなりの数が後ろに従っているようだ。
 煙の中が「何となく見える」人には、もの凄く気持ちの悪い画像だ。見えぬ人には「ただの妄想」に過ぎない。

 左後ろの先頭は着物を着た男性なのだが、例によってムカデ行列のように、後ろに連なっている。あまり宜しくない者もいるので、見ない・見えない方が良いと思う。
 あの世を身近に感じられるようになっても、良いことは殆どなく、嫌な気分になるだけだ。

 

 毎晩、深夜に「死にたい」と呟く女の声に悩まされて来たのだが、この数日は声が聞こえなかった。

 いなくなったのかと思いきや、まだすぐ後ろにいるようだ。

 今の私は、体は弱っているが心が弱っていないので、あえて耳元に吹き込まずに機を見ているのかもしれん。

 

 板塀は日陰だから、光学的効果は考えにくく、煙は「幽界の霧」だと思う。

 こんな煙の中に「一人でいる」と思うと寂しい。猫のトラや、白衣観音が姿を見せて欲しいと思う。

 

追記)最前列の「着物を着た老人」が見える人は結構いると思う。後ろの者が肩に手を掛けており、その後ろに、またその後ろにと数珠繋ぎに連なっている。

 数十年間も「ただの妄想」で、「自分には精神障害があるかも」と疑って来たわけだが、実際、「現実」と「妄想」と、「現実に起きている有り得ぬこと」の区別がつかなかった。だが、物理的異変が起きるようになると、自分自身の「気が変になったのではないか」という疑念が消えた。

 起きる者にはどんどん起きるようになるし加速する。

 自分の正気を疑わなくなったのは、やはり一昨年の「スマホからしわがれた声で『憑いた』『憑いたぞ』と叫ぶ声が響いた」ことによる。どこをどうやっても人為的には起こり得ない。

 そして、多くの人にも、死期が近くなったら、私に起きたことと同じことが起きると思う。