日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎後ろに立つひと

◎後ろに立つひと

 近くには誰もいない筈なのに、何となく誰かがいるような気がする。

 誰でも幾度かはそんな経験をしたことがあると思う。

 理由はなく、実際にはいないことも確かめているが、ひとの気配がする。

 この時、実はそこにいる。ただ目に見えぬだけ。

 ホラー映画や小説では、ここから怖いストーリーが始まるわけだが、現実に現れる「ひと気(人影)」は、通常のところ何もしない。別段何も起きぬのだ。

 簡単に言うと、その「ひとの気配」は「幽霊」なのだが、幽霊は自分の心境に近しい心持ちをしている相手に近づく。あるいは自分でも意識せぬまま引き寄せられてしまうのかもしれぬ。

 離れた位置に置かれた音叉でも、周波数が似ていれば共鳴を始める。これと同じことがひとの心でも起きるようだ。

  何かしらの喜怒哀楽の心の動きを手繰り、幽霊が近づいて来る。

 そこで完全に波長が合えば、心が同化し始めるのだが、通常はそこまで行かない。ひとの気分は時々変わるから、波長も変わり、幽霊にとってつかみどころが無くなってしまう。このため、どうやら幽霊たちは、ひとに「憑いたり離れたりしている」というのが実情のようだ。

 

 もしそれを確かめたかったら、私のやっている方法を実践するのがよい。

 私はたまたま撮影した画像の中で、ガラス窓に「そこにはいない筈の人影」が立っているのを発見した。それ以後、「ガラスの中の景色」を撮影している。関心の対象はもちろん自分自身だから、ガラスに映った私自身の周りの様子を重点的に撮影する。

 ガラス映像だけに何故人影が映るのかということについては、繰り返し説明して来たので省略するが、「光(波長)を選択すること」に加え、「カメラで撮影すること」で、「人間の捕捉できる波長域より広い範囲」の物事を捉えることが出来る、ということになる。 

  難点は「視線を向けてしまうこと」で、見えない筈のものを見ようとするようになるから、目配りが前とは変わる。幽霊は自分のことを見る者、言葉を聞く者に寄って来るから、関心を向けると、先方もこちらに関心を寄せる。要は「沢山寄って来るようになる」ということだ。本物は怪談や「怖い体験」の類とは、一段も二段も違う。

 それなりにリスクはあるので念のため。総てが自己責任だ。

 ま、回線の繋がっていない電話が鳴っても、スマホからしわがれた声が響いても、あまり驚かなくなる。頻繁に似たようなことが起きるし、人影を目視するから「慣れる」ということだ。

 時々、「私には霊感があります」とか「霊能者です」と自慢げに語る人がいるが、仮に煩わしさを覚えていないのなら、まだ核心を知らぬことの証拠だと思う。

 人間にとって最も望ましい「あの世(幽界)」との付き合い方は、「あの世の存在を感じないで暮らせる」ことだ。この文章の「あの世」のところに、別のネガティブな言葉、例えば「死」とか「別れ」「病気」を入れた時と同じことだ。

 「あの世(幽界)」を頻繁に考えることの意味は、何かしら「体か心が弱っている」ということだ。

 

 さて画像は割と分かりよいものだけを掲示した。前にも出しているから「再掲」になる。

 普段、幽霊は「霧」のような状態で、時々、ひとの姿に実体化して姿を現す。このため、朧げなことが大半で、体の一部分だけのことも多い。 

 こういうのがいたからと言って、別段何でもなく、日常的に「誰の身にも起きている」と思えばよい。気にする必要はなく、それを呼んだ自分自身の心の状態を顧みると何かしらの原因がそこに見付かる。

 怒りや悲しみ、恨み辛みに囚われていれば、同じような心持の幽霊が寄り憑く。

 

 この先は最近になり気付いたことになる。

 ひとの後ろには、幽霊がひとつ二つは立っている。多い時には十幾つも連なっていることもある。

 人間の可視域から外れているので、目視は出来ぬのだが、しかし、現実に存在しており、その幽霊(たち)に視線を向けている。

 ここは「見えぬのだが、実は見ている」のではないかと思う。

 相手のことを見る時に、その相手の表情を見ると同時に、背後の幽霊の視線も無意識・潜在的に見ている。そのことで、相手に対する印象が方向づけられる面があるのではないかと思う。邪な幽霊が背後に居れば、それを見た人が「この人は何だか嫌な感じだな」と感じるということだ。 

 以下は例え話。

 ある人が「今日はドコソコでラーメンを食べました」と言う。

 それを聞いた人がどう感じるか(受け取り方)は、それを聞いた側の人の性格にもよるが、話し手によってかなり違う面がある。

 「そりゃ良かったね。美味しかった?」と受け取る人もいれば、「コイツ。自慢していやがって」と思う人もいる。

 実際には、単なる報告なのだが、受け取り方は様々だ。

 「俺(私)は普通のことを話しているのに、それを聞いて無用に腹を立てる者が多い」と感じる人が結構いるのではなかろうか。

 後ろに良からぬ者に立たれていると、見るひと聞く人が「悪意を持って受け取る」方に押される。

 私は「幽霊の掃除機」みたいに常に引き寄せるから、マイナスの印象を持つ人の方がはるかに多い。もっとも、私の方が人間嫌いだ。一層、他の人の「後ろに立つ人影」を目視するようになっているので、なおさら忌避するようになって行く。

 ひとの心根は醜い。何故ならすぐ後ろの同類の表情がもの凄く醜いからだ。外見と心根はまるで違う。

 

 もちろん、人の印象を形成するのは、そういう要因(幽霊)ばかりが総てではなく、本人が努力すれば幾らでも改善できる。