日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎一人多い

◎一人多い

 水曜は通院の無い日で、終日家にいた。

 家族が全員外出し、独りで居間に座っていると、階段の照明のスイッチが「パチン」と入る。

 「ありゃ。誰もいない筈なのに」

 すると、数分後に、「パチン」と切れた。

 これで、「ああ、始めやがったな」と分かった。こういうのは「私はここにいます」というサインだ。

 

 そこで、夕食の時に家族に言った。

 「これからしばらくの間、家の中に余計に人のいる気配がするだろうが、あまり気にするな。うちは古くなって来たから、隣近所のリモコンの電波を拾って、テレビやエアコンが点いたり消えたりするかもしれん」

 この言葉が終わるや否や、テレビのチャンネルが切り替わった。

 ご丁寧に、地上波からBSに替わっている。「隣家の電波を拾う」も何も、この切り替えは二段構えになっている。ま、細かいことは気にするな。

 すぐにチャンネルを元に戻した。

 「ほれ。こんな風になる。前に所沢にいた時も同じことがあっただろ」

 あの時もエアコンやテレビが点いたり消えたりした。人のいない部屋でバタバタと足踏みをする音も響いた。

 

 その後も連続して、チャンネルが切り替わる。計7回これが続いた。

 どうやら自然や動物の生態に関する番組が好きらしく、必ずその番組のところに行く。

 しばらく放置して、その番組が終わったところで、チャンネルを戻すと、今度は落ち着いた。

 思わず、「テレビはお前のものではないからね」と呟いた。

 

 女は長く病院にいて、いつも自然や動物の番組を観ていたのかもしれん。

 私も経験があるが、入院している時には「とにかく家に帰りたい」「外に出たい」と思う。

 

 たぶん、しばらくはこの状態が続くと思う。

 こういう時には、騒ぎ立てたり、怖れたりせず、普通に振舞うのがよい。

 家族であれば、「たまたま」と見なすか、「合理的な理由がある」と考えるようにする。相手のことをよく知らぬと、「怖ろしい」と思い込むから、、これが最もダメな対応になる。「恐怖」は「共感」がかたちをかえたもので、取り込んでしまうことがある。

 私は当事者なので、「そこにいる」と見なして、普通の人と同じように対処するのが良いと思う。

 元は普通の人間なんだし、気にせずに過ごし、仮に先方の自己主張や悪戯が過ぎるようなら、「そういうことは止めとけ」と説教するということ。

 基本的には、「何とも思わぬこと」が肝要で、動じぬことが大切だ。

 幽霊には頭が無いので理屈の理解は出来ぬ筈だが、生前の経験で「叱られている」のは分かる。要は親が五歳児の子どもに対するのと同じように振舞うと、相手の方が恐縮する。