日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「島田木札」

島田代官所管内の木札類

◎古貨幣迷宮事件簿 「島田木札」

 地方の慣習には、その地域独特のものがあるようで、島田代官所管内も特有の木札文化がある。

 下の「島田通用」はコレクターにはお馴染みの品だが、島田宿で「大井川の渡しの際に用いられた」という説がある。それならトークンなのだが、一説には「地方代用貨」だったという話もある。これは「通用」という表現を使用していることによる。

 承知の通り、天保銭の裏側には「当百通用」と言う文字が配されている。迂闊には使えぬ文言なので、それなりの意味があった。

 

 ちなみに、今でも地方によっては「地域通貨」を地域おこしに利用しているところがある。我が家から至近の秩父地方でも、自治体独自の「和同開珎」を発行しており、多くの商店で利用できる。(どこで替えたらよいのかが分からず、使ったことはない。)

 

 上の木札には、「相賀(おおか)村」との記載があるが、米代金の仮渡として使われたようだ。宛名が百姓名となっているから、仮払いで一旦これを渡した後、現金と引き換えたのではあるまいか。「二朱」なのでそれほど多量なわけではない。

 多くの地方では、紙に書いて渡すが、島田では木札が使用された。

 おそらく、ここが天領だったことにも関係があると思われる。

 

 藩や藩内私領では、侍が自領の米を集めて、それを幕府に届けた。

 侍は自分の取り分を穀物倉に仕舞って置き、現金が必要になると、必要な分だけを米商人に売却した。一度に売りに出すと相場が下がるから、状況を見て少しずつ売却したようだ。

 百姓たちの方も、租税(年貢)として徴収された分を除き、手元には自分の持ち分の米が残る。やはり現金が必要になると、これを商人に売ることになる。

 普通は商人が代金を現金で渡すわけだが、秋の収穫シーズンが終わった直後は、そういう売り物が大量になる。買い取りの量が膨らみ、それを市場に送り出さぬと、商人に現金が入って来ない。当然、タイムラグが生じるから、現金が不足する。

 この時に、仮払いとして紙や木札にその由を記し、売り手に渡したのだろう。

 紙の方が扱いが簡単だと思うが、これを敢えて木札にしたのは、どういう事情があったのだろう。

 

 前述の「島田通用」の方はいわゆる「トークン」なのだろうが、「米代金」の方は切手類に属すると思われる。

 木に焼き印を押したもので、偽物が簡単に作れそうでもあるのだが、このジャンルに偽物は少ない。コレクターが限られることと、存在量が割と多いこと、さらには金属の焼き印の型を作る費用がかかり、利益が見込めぬことによる。

 

 文政期以降、度々、飢饉に襲われ、米が貴重なものになって行く。

 天保の飢饉以降はそれが極度に高まるから、食い詰めた下級武士や百姓たちが一揆を起こした。経済が行き詰ることが、幕府の崩壊に繋がっていく。

 映画で、幕末の「下級武士が米の粥をすすっている」場面を見たことがあるが、リアリティがまったく無い。俸給を米で貰っていたのは事実だが、その米は疑いなく総てが商人の許に行き、侍自身は粟稗の雑穀雑炊をすすっていた。粥にしたのは、炊いただけでは硬くて食いづらかった、ということ。

 

注記)あくまで日々の所感としてのもので、記憶や推測で記している。一発殴り書きで、推敲や校正をしないので、不首尾は多々あると思う。