日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎市役所にて

市役所にて
 心臓の調子が悪い時に、脳への血流も悪くなるのか、記憶が飛んでしまうことがある。その当日分だけでなく、前後一週間やひと月に留まらず、「か月」単位で記憶が無くなる。
 かつて、二十台の終りに過労死しそうになった時には、心停止まで経験したが、その年の記憶が全部無くなった。

 ちなみに、たまたま父が上京した時で、父が救急車を呼んでくれたので助かった。面白いことに、父も大慌てで息子の世話をしたので、その時のことを「良く思い出せない」と言う。
 父は深夜に息子が苦しみ出したので、「大変だ」とアパートから駆け出して近所の店に行き、そこで「息子が急病だから救急車を呼んでください」と頼んだらしい。
 息子の部屋には電話があったが、それを使わずに外に走り出た。よほど慌てたということ。
 父が駆け込んだ店というのが、丸棒の経営するピンサロの類だった。丸棒はいつも「人道」だとか「正義」だとかを議論する人種だから、父の話を聞くと即座に電話をしてくれた。
 消防署までは二百㍍だったから、十分経たぬうちに救急車が来て、これまた百㍍の救急病院に連れて行った。
 この後の記憶はもはや断片的で、そしてその前後一年分くらいの記憶が無くなった。

 後に麻雀屋でヤクザ者と打ったが、店の話をしているのを聞いたら、救急車を呼んでくれた店の経営者だった。
 思わず「対応してくれて有難うございます」と礼を言った。
 雀荘で知り合いになったトーヤマさんはそこの系列店の呼び込みだったから、割と縁があった。
 命の恩人だから、当方がヤクザ者に理解を示すのは当たり前だ。阪神地震の時に、Y組なんかが率先して支援物資を運んだりしたのはニュースにもなった。普段、「人道」の話をしているから、あの人たちには当たり前のことだった。

 最近も時々、心臓が不調の時があるが、やはり大なり小なり記憶が飛んでいる。
 印鑑登録証やら、マイナカードの類、預金通帳が完全消失した。
 相続の話があるので、書類を作らねばならないが、印鑑カードはないわ、マイナカードはないわ、なので、再発行の手続きに市役所に行った。

 再発行してから、登録証を出して貰うので、さすが時間がかかる。印鑑登録は程なく出たが、マイナカードは中央に送って、カードが届くのは二か月後らしい。
 ま、カードの記載情報はコピーを取っているので、それを書く分には困らぬが、「コンビニで住民票が取れます」と言ったってカードが無ければ無理な話だ。

 待っている間に周囲を見回したが、この市の人口はついに十四万人台まで落ちていた。
 コロナ前には十七万人だったと思うが、Hンダの工場が移転したあおりがそこまで来ているとは。工場自体は数千人の規模だったと思うが、家族を入れればその3倍くらい減る勘定だ。
 関連会社や、飲食店、小売店まで続々閉店したので、こんなことになった。

 住民票のすぐ向かい側には、葬儀屋が窓口を置いていた。
 ま、団塊世代が後期高齢期に達しているから、葬式のニーズが高い。
 「俺なんかは葬儀屋の仕事がきっと向いているよな」
 ご法話まで行けます。

 たまたま窓口が混んでもいたので、終わるまで二時間くらいかかったが、三時を過ぎていたので、食堂が閉まっていた。
 役所とか企業の社員食堂の「チープなつくりのカレー」が食べたかったのに残念だ。
 最近「食べたい」と思うのは、「少し味の足りないチープな食べ物」だ。
 文学部学食の最安「170円のただ辛いだけのカレー」が食べたくて仕方がない。一週間それだけ食っていたこともあれば、一日に二回食べたこともある。
 夜学部の講義も聴いていたので、夕方から夜には大学にいた。
 夜の方が変な先生が多く、我儘で面白かった。

 障害者のほぼコーレイシャになり、出来ないことが飛躍的に増えている。たった数時間の役所の手続きも、苦痛に感じるようになった。こりゃ早く世代交代を進めねば、程なく動けなくなると痛感した。
 別に嘆いているわけではないざんす。
 ま、こんなもんだわ。