日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第1112夜 天変地異

夢の話 第1112夜 天変地異
 二十五日の午前二時に観た夢です。

 最初の夢は悪夢。
 人事に関する夢で、会社の資金繰りのため、資産を売却すると、そのお金を騙し取られる。
 現実に幾度かあったし、不快なので内容は省略。
 私が「窃盗犯を見れば耳を削ぐ」と言うのは、専ら被害経験による。トータルでは車上荒らしのような小さなものまで含めると十五回くらい被害に遭っているから、悪夢を観るのは当然だ。
 今は毎日詐欺メールが来るが、あの多くは日本人と中国人、または半島人が結託して行っている。メールの発信元を追跡すると、大阪を中継するが、その前が大陸で上海かソウル。
 いつもその都度、「犯人の子どもが早死にするように」と祈願する。この世もあの世もそうそう甘くないぞよ。

 一旦覚醒するが、すぐに次の夢に入った。
 私のことを手を合わせて拝んでいた男に関することだ。
 旅館のガラスには、死神らしき「ジャケットの男」と「女児」、それに「拝む男」が見えていた。 
 「女児」は私サイドの者で、見守ってくれているのだが、「ジャケットの男」は明らかに「そろそろ旅立つように」と督促に来た。少し前に「契約期限切れで、建物の立ち退きを迫られる」夢を観たが、それと同じ一連の流れだ。
 「女児」は私を守ろうとし、「ジャケット」は連れ去ろうとする。このため、夢の落差が大きい。
 すぐ近くにいるであろう男に「思う通りにはならないよ」と告げた。

 さて、残るは「拝む男」だ。コイツは何故に拝んでいるのか。
 「助けて欲しい」ではなさそうだ。
 ここで夢の中の「俺」は思案を始めた。

 最近、身の回りに「匂い」を感じる。
 甘酸っぱいような、樟脳の混じったような、腐った肉類のような不快な匂いだ。
 それを感じる度に「死の匂い」に似ている、と思う。
 「死の匂い」は、ひとに死期が近づくと、自然に体から出る匂いのことだ。生物が腐ったようでいて、線香のような匂いも混じっている。
 ここで「俺」が愕然とした。
 「コロナ感染後の後遺症かもしれんとも思っていたが、よく調べると、この匂いは俺の体から出ている」
 すなわち、本当に死期がすぐ傍まで来ている、ということだ。
 足の指が腐り始めたのは止まったが、今度は手の指が傷んで来た。
 だが、一方で「夏までは生きている」という感じもある。

 夢の中の「俺」は考えた。
 「総てを繋げるような出来事は何だろう」
 すぐに気が付く。
 「病気ではなく、天災が起きてそれに巻き込まれる」
 男が拝んでいるのは、その男自身のことではなく、私のことを「成仏してくれ」と言っているのだ。
 今年については、地震を警告する者が山ほどいるのだが、私も「俺」も、今年はさらに大きな災害が起きると思う。
 ここで覚醒。

 現実の脳内思考と夢が入り混じった状態で、錯乱しながら眼が覚めた。
 人間の頭は、線形(二次曲線)までしかイメージできないようになっている。これは論理構造の基礎が一次元なので、一次元尺度に要約できるのが二次元までということによる。
 要は「三つ目の物差しが加わると、人間は判断不能になる」ということだ。
 「女児」と「ジャケットの男」までは、双方を同時に眺めることが出来るのだが、これに「拝む男」が加わると、どう対処して良いかが分からなくなる。

 「たぶん、夏頃(または夏の終わり)までは生きている」
 「絶望の淵に落ち、落胆死や自死に追い込まれる」
 「地震など天変地異に巻き込まれて死ぬ」
 三つの要素がある。

 ところで、色んな予言者が「2024年には日本で大地震が来る」と言っているが、あまりあてにはならない。
 ブラジルのルースも、インドの少年も、「日本の地震」については、「毎月日本のどこかの地域で地震が起きる」と予言している。山ほど「来る」「起きる」と言っていれば、そりゃ何時かは当たることもある。
 予言信者は目出度い人が多く、その当たったところだけを「当たっている」と受け止めてくれる。ルースさんは外れた予言については、まるでそんなのは無かったかのような扱いをしている。
 史上最高と言われたババ・ヴァンガも、本人が語った内容は荒唐無稽なものが多く、公称の「70%」は当たっていない。
 ま、ボールの軌道を何となく見て、「先でここれこれにぶつかる」と予測するようなものだから、ぶつかった先を見るのではなく、現状で「どう投げられているか」を考えることの方が意味がある。

 感情の起伏が大きいようで、脈絡のないバラバラの内容になった。
 自分自身の死については、予定されている面があり受け止められるわけだが、家族や他の多くの人が苦しむ姿を想像したくない。
 「警戒を怠るな」と言っても、地震など天変地異の規模になると、人力ではどうにもならぬところがある。

 起床後にはかなり動揺していたが、散漫な内容を書き留めているうちに気持ちが落ち着いた。
 私からの警告はひとつだけ。
 「良からぬことが起きるかもしれんし、起きぬかもしれん。だが、ある程度の覚悟を用意すること」
 「今年死ぬ」のは、私だけではないかもしれん。
 もちろんだが、私も生きることを放棄せず、あらゆる手立てを打っている。