日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎まずは体力から

◎まずは体力から

 月曜は早朝まで原稿を書いていたが、四時近くになり疲れが溜まって来たので、少し眠ることにした。

 居間の寝袋に入ると、すぐに眠くなった。

 だが、数分も経たぬうちに、玄関の扉のドアノブが「ガチャッ」と音を立てた。

 「おお。久しぶりだ。新手が来たか」

 間を置かず、声が聞こえる。

 「※▽◇✕◎$・・・」

 聴き取れぬが、どうやら声は扉の外で響いている模様だ。

 「それならやはり新人だ。古いのは、今や勝手に家の中まで入って来るからな」

 構わず眠ることにし、眼を瞑った。

 

 七時頃に目覚めると、全身が重い。

 立ち上がろうとしても力が入らず、ヘナヘナと腰を下ろしてしまう。

 「これじゃあ、二年半前と同じだ」

 あの年には、うっかり稲荷の障りを得てしまい、八か月間苦しんだ。

 稲荷の眷属である僧侶の幽霊に取り憑かれたためだが、食事がまったくできず、あっという間に十二キロ痩せたのだった。感触はその時と同じ。

 よく考えると、土曜の昼過ぎに「病院めし」を食べたきりで、二日近く何も食べていなかった。

 力が入らぬのも当たり前だ。

 「それなら、まずは体力を取り戻す工夫が必要だ」

 ここで浮かんだのが、「親子丼」だ。

 親子丼は体に優しい食べ物で、調子が悪い時でも、幾らかは食べられる。

 自ら調理してしまうと、出来た時には食欲が失せているので、店で食べることにした。

 と言っても、コロナ期に駅前の大衆食堂は姿を消した。

 だが、町外れに蕎麦屋があるから、そこに行けば、きっと大丈夫。

 開店は十一時だろうから、その時刻に合わせて出掛けよう。

 

 店に着くと、やはりその日最初の客だった。

 蕎麦でもいいかと思ったが、なるべく重い方が力になる。

 メニュウを見ずに「親子丼」と注文した。

 さすが食が細く、一人前を食べるのに苦労する。量もこれだけを食べることがないし、既に減塩食に慣れているので、少し塩辛い。

 「食欲は食欲を増進させる」は真実だが、その逆もアリだ。食べずにいると、どんどん食べたくなくなる。急に食べると、気持ちが悪くなったりもする。

 

 食事を終え、少し休むと、体にエネルギーが回るのを感じる。

 「悪縁を追い出すには、彼らと真逆の要素を取り入れればよいから、なるべくたくさん食べて、心持ちを明るくしよう」

 「恨み・辛み・妬みの塊」である亡者(幽霊)たちは、「前向きで、物事を明るく捉える者」の傍では居心地が悪そうだ。ひとがポジティブな姿勢を続けると、自然に離れていく。

 

 「よし。今日も神社に行こう」

 細かくセルフチェックをして、変化の兆しを捕まえよう。

 あれこれ試してみて、有効な鍵があれば、今後は私だけでなく、他の者にとっても役に立つ。

 そう考えて、この日も八幡神社に参拝することにした。

 ま、「あまり出ない」ことは承知の上だ。あの世の者をより鮮明に捉えるには、TPOを揃える必要があり、今の季節なら概ね「午後二時から四時の間」の日光が必要だ。

 この日はまだ十二時で、撮影にはあまり適さない。

 だが、理由は別として「何も出ない」だけで、幾らかは気休めになる。

 

 いつも社務所のガラス窓に自分自身を映して、それを撮影するわけだが、この場合の撮影位置はほぼ定位置だ。画像では、私の周囲を灌木が取り囲んでいるように見えるのだが、この位置は手水場で、ここに樹木はない。かろうじて、右側の隅だけには十数㍍後ろの灌木が視野に入る。

 単なる「葉の陰影」かどうかは、当事者の私にはすぐに区別がつく。画像を見た印象と、その場に立った時の状況は違うことが多いから、画像だけ見て「可能性」を論じてもあまり意味はない。

 繰り返すが、「可能性の議論など幾ら繰り返しても実りは少ない。実証することが最前提」だ。

 ひとまず、数枚ずつの撮影だけを済ませ、すぐに帰宅した。

 

 画像を開いたのは、二時間ほど仮眠を取った後だ。

 手水場を撮影したのは、ただ単に位置を示す目的だったが、画像には煙が出ていた。

 こういうのは、単純に日光と湿気の関係で起きる場合もあるし、「幽界の霧」が出ている場合もある。

 点検を始めると、光線の進行方向に歪みのある個所がある。ところどころに半透明(もしくはほぼ透明)の煙玉が出ている。

 それが寄り集まった箇所を覗くと、着物を着た人影が立っていた。

 (こういう場合の眺め方は、前回の小鹿野のケースで説明したが、「眼を離して浮いて見える箇所に着目する」と分かりよい。)

 そもそも、「目視出来ぬ存在」なので、見極めるのは経験がいるが、前回、「お稚児さん」の姿が見えた人は、割と焦点を合わせやすいと思う。

 着物のシルエットは割とはっきりしており、烏帽子を被っていることから、これが神職であることが分かる。この神社は何百年も前(中世)からあるから、常識的には、この神社の神職だった者だろう。

 神職の周りには、女たちの顔があり、この神職にすがる者たちなのだろうと思う。

 神職や僧侶の幽霊は、一般人よりも力が強いので、核(求心力)になった。

 なお遠目で眺めると、最初に着物が浮かんで来る。着物が見え始めると、その焦点付近で、他の状況が見えて来る。

 

 さて、本来の目的は、自分自身に関することなので、そちらに眼を転じると、やはりこの時刻ではあまり鮮明には写らない。ただ、全体的に室内の様子が割と鮮明に映っているのに、私の左右には「ぼやけている箇所」が確認出来る。その中を覗くと、人影のようなものが見えるから、前回と大して変わっていないのだろう。幾らか数が減っていることと、体に触れられているのが左肘だけなので、それが進歩と言えば進歩かもしれん。

 ま、ここはウェブ画像では確認出来ぬし、その必要もない。意味を持つのは、私に対してのみで、他の者にはそれが何であれ関りが無い。私だけが分かればよいこと。

 

 最後に、いつものように神殿の景色を撮影した。

 たまたま祈祷中で、中央奥に神職がおり、手前の大きな人はお祓いを受ける参拝客だ。

 神職の背中を覆うように、「丸い玉」が出ているのだが、これは何だろう。

 煙玉そっくりだが、今の時点で結論付けるのは早計だ。

 窓の枠より内側にあるので、室内にあるのは確か。現況では「前回以後に装飾品を置いた」ケースを排除できない。仮に煙玉なら、もの凄く強い力のあるものだ。

 この地は古戦場で、想像以上に蓄積がある。何が出てもおかしくはない。

 

 右側には、項垂れた女がいるのだが、まるで遊女みたいな着物だし、他の女が重なってもいるようだ。

 思わず、「状況を複雑にさせてくれるな」と呟いた。

 この部分は、宿題として、次回以降に持ち越す。