日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎この半月で起こったことの顛末

この半月で起こったことの顛末

 変化が始まったのは半月くらい前になる。

 体調がイマイチで体が重いし、次第に悪夢を観るようになった。

 これが徐々に酷くなり、それまでの人生と人格を否定するような内容に進んだ。

 眠る度に酷く悪夢を観る。

 自己嫌悪から「もう死んでも良い」と思うようになり、クロゼットが近くなる

 

 だがこういうことは幾度も経験があるから、ここで内省を開始。

 「今の自分の感情や考えは果たして本当に自分のものかどうか」

 何者かに吹き込まれているのではないか。

 

 そこで今に繋がる節目となった小鹿野町に行くことにした。

 そこには強い霊場があり、そこでセルフチェックをすれば、事態が分かるかもしれぬ。

 家族には「氷柱見物に行く」という名目にし、氷柱の後で、目的の旅館を訪れた。

 私の狙いはここの玄関先で、ガラスに映る自分自身を撮影することだ。

 ガラスに景色を反射させると、肉眼では見えぬものが見やすくなる。強い霊場を背景にしていれば、なおさら映りやすくなる。

 

 最初の一枚目では、異変は何も起きていないように見えた。

 だが、少し引っ掛かる。

 主な光源はふたつで、外の日光と室内の照明だ。光源から光が進む方向を辿って行き、歪んだところを探すのがコツなのだが、室内の照明が私の顔だけを消していた。

 この位置関係では、上半身が総て消える筈なので「顔だけ」は理不尽だ。

 何か別の要因がある。

 

 そこで眼を離して同じ画像を見直すと、私の左側に着物姿の少女が立っていた。この場合、見えるのはシルエットだけだ。

 少女がよりよく見える光の層に合わせ、周囲を見渡すと、右側にも女児がいた。

 これは過去に同じ場所で撮った画像に写っていたのと同じ女児のよう。

 半分は「この子に会おう」と思って来たので、少しほっとした。死者なのに、この子は悪意や恨み辛みを感じさせぬから、心が休まる。

 

 眼が慣れたところで、自分自身を見直すと、マスクのところに別人の顔が浮かんでいた。男と女がいるように見える。

 ここで、「悪縁(霊)が寄り憑いている」という事態が確定。

 あとは具体的に一つひとつを特定し、引き剥がすことにした。

 

 一月三十一日には、高麗神社に参拝したが、デジカメのMCを入れ忘れていたので、スマホで撮影した。画像が不鮮明だが、背後にバケモノ顔の男がついている。

 画像が悪く、生きた参拝客との区別がつかぬようだが、「背後の男」は私の胴体に手を回している。

 生きた者なら、こういう振る舞いは有り得ない。

 

 二月二日には最寄りの八幡神社に参拝してセルフチェックをした。

 すると、尋常ならぬ数の人影がまとわりついていた。

 体調や心境に直接的な影響を与えているのは、左右の脇にしがみ付いている女たちだと分かったので、ご神刀を使って、頻繁に胴体の周りを斬っている。

 幽霊は物理的な存在でもあるので、金属の刀を振るわれるのは嫌なことらしい。それが清浄な刀なら尚更だ。

 

 私のように、常に霊障に晒される境遇になってしまうと、神社でお祓いを受ける程度では何ら効果がない。面倒でも自らの手で一つひとつを引き剥がしてゆく外はない。

 ま、既に生命力が落ちているので、いずれはあの世に連れ去られる時が来る。

 そうなれば条件が同じになるわけだが、「その時には、俺がお前らを全部食ってやるからな」と伝えている。