日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病棟日誌 悲喜交々 3/28 「心に青空」

病棟日誌 悲喜交々 3/28 「心に青空」
 この日の計量は介護士のバーサン。
 「九重由美子です」
 バーサンが頷く。
 「知ってる。歌手の」
 「歌も歌ったが、最も大きな記憶は『コメットさん』だ。大場久美子の前の初代がこの人」
 確か昭和四十年代の前半だから、バーサンは二十歳かそこら。
 だんだん、記憶が蘇って来たのか、最近は名前の主が分かる。
 毎日続ければ、ボケるのが遅くなる。

 この日は早めに通院したが、結局順番を長く待つので、30分くらいなら早く行ってもあまり違いはない。
 「やっぱり遅く来よう」と思った。待ち時間が無駄にならない。

 その後、問診に来た看護師はユキコさんだった。
 「検査の結果ですが・・・」
 数日前に心・腹部エコー、CAVI測定を受けた。
 先に「数値が良くなってるでしょ。そんな実感があるもの」と告げた。
 「エコーは異常なしで、動脈硬化が良くなっていますね」
 そりゃスゲー。過去十四年で初めて腫瘍も狭窄も出なかった。
 いつもはリポートが4枚くらいで、「専門医の診察を受けて下さい」になっている。あっちに腫瘍、こっちに腫瘍。
 脚の動脈硬化は「六十台後半」レベルの診断だが、前回は「七十台」だった。透析患者は動脈硬化が飛躍的に進む。
 血管年齢は後戻りしない筈だが、だが、私にはそれが起きている。

 「前より良くなってますね」とユキコさん。
 「秘密があるんですよ。一月に『座敷童』を撮影したけれど、それ以来、ものすごく調子が良くなった。体調は上向くわ、良いことしか来なくなった。ま、現世利益の問題ではなく、心の中に青空が広がったのが大きいですね。頭から胸にかけて、澄み切った青空が広がっている。受け止め方が違うからだと思うけれど、色んな不都合があってもそんなのはささいなことだと思うようになった。また、色んなことに感謝するようになった。心境が変わったから、良いことばかりのように思えるのかもしれんけど」
 「やっぱりそうですか。あの子は座敷童だったんですね」
 「ありゃ。お見せしましたっけ?」
 「ええ」
 そりゃ良かった。こういう時の幸運は「ゼロサム勘定」ではないから、広く分け与えて構わない。「ゼロサム」とは、「総量が一定で、誰かが多く得ると他の誰かが減る」という勘定だ。例えば競馬の配当がこれ。

 何せ、座敷童を画像に撮ったのはこれが初めてのことだ。日本初ということは世界初。多くの者がこれを見て、神棚の近くに供え、幸運を呼び込むとよい。

 (注記:「神棚の近く」であって「神棚」ではない。)

 祈願のし方は「私のところに来てくださってどうも有難うございます。ずっとここに居て下さい」だ。自分の願い事(欲望)を唱えることではないので、念のため。
 当家はお不動さまの僕で、「あらゆる者の救済」に尽力する。と言っても、生きている者よりも死者の方が優先だ。

 「じゃあ、画像を差し上げますね。撮影した当人がプリントした写真なら、たぶん、何かしらご利益がある」
 「こっそり幸運を貰おうと思っていました」
 「それアウトですよ。心を広く持ち、皆で幸運になろうと思わねば福は来ません」
 まずは「信じて、分かち合う」ことざんす。
 ま、信じることが出来ぬ者は、そもそも子どものの姿が見えない。あの子がすんなり見えるような受け皿を作って置く必要があるのだ。

 「心の中に青空があるって、いいですね」
 「それがひとつ。だが、今の私のような心境は、もうすぐ死ぬ人の特徴でもある」
 「え」
 「死に間際になると、周囲に感謝し始めるんですよ、自分の掌を見ていたり、夢に亡くなった親族が頻繁に出るとか、私には全部当て嵌まります」
 「そんなことは言わないでください」
 「いえ。それはそれでいいのですよ。ひとには寿命があるから、この体は何時までも持たない。だが、寝たきりで長く過ごすのではなく、ぎりぎりまで立って歩ける方がいいですよね」
 「それはそうです」 
 日々を感謝して暮らし、穏やかに死ぬ。これが望ましい生き方死に方だ。

 福の神さまは「後頭部が禿げている」と言う。去って行くと戻っては来ぬから、なるべく長いこと引き留める必要がある。
 あの世に関わる画像は、時間の経過と共に変化するから、早晩子どもの姿は消えていくと思う。もちろん、画像から消えても、「心の中に留め置く」姿勢が大切であることは言うまでもない。

 この子どもの姿が見えるなら、この画像を出力して、時々眼に入るところに掲げると良い。TPOがある話なので、「この後」とか「明日」ではなく「今」やること。程なくこの子は消えてしまう。
 この子は幸運を引き込む手助けをしてくれる。それには、まず受け入れて、信じることが前提だ。また、この場合の「幸運」とは現世利益そのものではなく、それを招く心構えという意味になる。

 疑わず、受け入れて、信じればよい。それだけで、心の中に青空が広がる。

 さて、画像の左側には、福の神ではない者が写っているが、これは私に向けられたメッセージで、他の者には関わりが無い。そもそも、見える者自体が少ない。

 数百人中、五人くらいは「あれ?」と思う人がいる程度だろうが、そういう人でも影響は生じないはずだ。ただ、見ているうちに少しずつ「あの世(幽界)」に対し鋭敏になって行くとは思う。

 そういう人なら、まず「既存の知識を捨てること」が必要だ。既存の宗教や霊能者の語るごたくを信じると、逆に実態から遠ざかる。現象面ひとつとっても、あの世を語る者のうち、自分自身で心霊写真を撮って見せる者を聞いたことがない。要は、知識や想像を語っているだけということ。

  自分自身の眼で見て・確かめる姿勢が重要だ。