◎夢の話 第1122夜 「芸妓が見たもの」
三月三十日の午前一時に観た夢です。
我に返ると、俺は旅館の一室の中に立っていた。
目の前には、風体の悪そうな男が一人と、芸妓らしき女性がいた。
男は四十台後半で、如何にも素性が悪そう。
女性はまだ十七八で、芸妓になってそれほど時間が経っていない。
男は酒を飲んでいたが、半開きの襖の向こうには、布団が敷いてあった。
ここで、調度類を観察すると、どうやら昭和十年頃のことらしい。
当時としては普通の風俗だ。
酒を飲みながら、男は自分の話をしている。
「あいつがどうの」「こいつがどうの」
商売の相手のことなど、女の子や俺には知りようもない話だが、よほど腹が立つことがあったらしく男は怒っていた。
面倒な客だし、きっと乱暴だ。
男はぐいぐいと飲んでいたが、突然、女の子の手を引き寄せた。
「俺は金を払っているんだからな」
あまり世慣れてはいない客だった。
これも生業だから、仕方がなく、引きずられるように床の間に行った。
そこで、男は手荒に女の子の着物を剥ぎ取ろうとする。
「ち。手が掛かりやがる」
男は帯を解いていたが、しかし、急に黙ると、そのまま布団に顏を突っ伏した。
女の子は何が起こったか分からず、じっと固まっている。
俺は部屋の中央に立ち、その様子を見ている。
「このオヤジは脳卒中だよ。前にも見たことがある。死なれると面倒だから、早く帳簿に伝えろ」
そう言ったつもりだが、女の子には聞こえぬらしい。
「ねえ。ちょっと」と男を揺するが、しかし返事が無かった。
ここで、女の子はようやく事態に気付くと、廊下に出て、帳場に向かった。
程なく、六十過ぎの女二人と共にこの場に戻った。一人はこの旅籠の女将で、もう一人年嵩の女の方は、近くの置屋の遣手婆だ。
遣手婆は客の様子を見ると、すぐに事態を悟った。
「こりゃ当たったんだよ。すぐにお医者様を呼ばないと」
婆は下働きの女を呼び、医者の許に走らせた。
バタバタと人の足音が響く。
ここで遣手婆は枕元にある男の財布に眼をやった。
「具合が悪くなっても、こちらも商売だから、代金は貰って置かないと」
財布から金を抜き取り、それを分け女将にも渡した。
「あんたも宿代を貰っておきな。財布はあの親父に返せばよい」
そう言うと、婆は財布を女将に預けた。
俺はその一部始終を脇に立ってぼんやりと見ていた。
「ふうん。あのオヤジはそのまま死んだんだな」
何年か後に、女の子も死んだ。割と早くに死んだわけだが、それも戦時中の話だから、伝染病などであっけなく死んだ時代だ。
この時の「客に死なれた」光景がショックになって残り、死んだ後にも旅館の周りに集まって来るようになった。
ここで覚醒。
ここで見えた景色の一部始終が詳細でリアル。
自分が「その場で観ていた」ように感じるし思い出せる。
そんな出来事が実際にあったし、それを私が見ていたような気もする。
その時の私は、そこにいた者にとっては「幽霊」そのものだったと思う。