日刊早坂ノボル新聞

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◎霊界通信 「白衣の女も二人いる」

◎霊界通信 「白衣の女も二人いる」

 ひとは生れ落ちてからの記憶を総て持っている。日常的に脳を使用するのは、その2、3割に過ぎぬと言われるが、大半は記録のために使用されている。要は大半が格納庫であり、HDだ。一旦格納すると意識の範疇から外れるので、ほとんど思い出せなくなる。

 これを「忘れる」と言うわけだが、普段は思い出せずとも、情報が無くなってしまうわけではない。格納庫のかけ金を外すと、正確な情報が蘇る。おまけにその場では意識していなかった周囲のことまで、詳細に記録されている。おそらく自分を中心に半径二十から三十㍍くらいで起きる物音や気配を逐一記録してある。

 そうなると、もし記憶もしくは記録を格納庫から取り出すことが出来るようになれば、その時に自身が眼で見たことや感じたことだけでなく、その場では眼に見えなかった背後の状況などが追体験できる。

 それなら、「記憶の格納庫」を開ける鍵を探し出し、必要に応じ開くことが出来るようになれば、かなり有用だ。

 

 以上は前置きで、ここから徐々に本題に入る。

 画像の④は六年前に撮影したものだが、私は自身の背後に「白い着物を着た女」が立っていると思う。画像では微かにしか見えず、見えない人の方が多い筈だ。

 ところが、私は当事者なのでこの時の状況を思い出すことが出来る。

 同時進行的には分からなかったが、この時に私は背後に「熱感」を覚えていた。

 これは「気配」よりも、さらに微かな感触だ。

 後に分ったが、幽霊は赤外線に反応する面があり、これは熱を帯びる性質がある。

 プラス側なら白く見え、マイナス側なら黒くなる。この場合、白いと熱量が上がり、黒いと下がり冷たい。

 もし生身の人間が背後に立てば、距離にもよるが、その人の体温などが感じられる。

 生身の人間ほどではないが、幽霊の場合も「熱い」か「冷たい」と言った違いが生まれる。

 この時の記憶を蘇らせる度に、私は背後の熱感を思い出す。

 よって、「ここに誰かが立っていた」と言うのだ。そして、それが幽霊であると認識した瞬間に、女性で、着物を着ていると感じる。こちらのほうは、波が伝わるように、先方の意識が流れ込むことによる。

 

 前回、「白い着物姿の女」について言及したが、ほぼ同時期から現れ始めた「白い着物姿の女」は二人いる。

 これについては、これまで幾度も紹介して来たが、白い着物に袴を穿いた女、すなわち私が「巫女さま」と呼ぶ者と、襟を左前に合わせた「死に装束の女」のことだ。

 二人の外見は非常によく似ているが、表情と、今回指摘した熱感がまるで違う。

 ここで「巫女さま」をA、「死に装束の女」をBとすると、

 A(「巫女さま」)は掲示画像の②、④、⑤で、B(「死に装束」)が①、③、⑥になる。

 ちなみに、HDの破損により、令和3年以降5年までの画像の多くが消失したので、表情の出た画像が失われたのだが、②の右上の「眼」がA(巫女さま)だと言うのは、その記録による。③の女の顔は青黒く、かつ切れ長の眼をしているから、②とは異なる。

 

 一方、外見上はA、Bとも非常によく似ている。

 このため、二人に区別があることに気付いたのは、比較的最近のことだった。

 

 ⑦は⑥と同じ画像だが、「お稚児さま」二人に着目したものだ。「お稚児さま」はいずれも同じような佇まいだが、一人は負の感情、もう一人は正の感情を持つような印象だ。恐らくは姉妹のような、あるいは正負でワンセットのような関係性があるように思える。

 本題はここから。

 「巫女さま」と「死に装束の女」は外見上はよく似ているが、印象が真逆だ。

 まったく異なる存在なのだが、しかし、二人はやはり「二人でワンセット」ではないかと思う。

 私は「巫女さま」や「お稚児さま(妹)」に幾度も助けられて来たのだが、それだけでなく「死に装束の女」や「お稚児さま(姉)」とも深い関わりを持つように感じる。

 「死に装束の女」は従前から私の間近にいるので、もし悪意があれば、私はとっくの昔にこの世から消えている。そうなっていないのは、むしろ彼らにも「助けられている」面があるのだと思う。

 

 おまけ画像の⑧は、①の「白い着物の女」の立ち位置を確認するために作成したものだ。たまたま残っていたのだが、改めて開くと、右側に人影が立っていた。これは朧気なのでウェブ画像ではほとんど分からぬとは思う。

 どうやら再点検が必要なようだ。

 ①の画像では、右上にある巫女さまの「眼」に気を取られるあまり、右下にお稚児さまがいるのに気付かずにいた。赤いちゃんちゃんこを着た少女がここにいることに気付いたのは、撮影後ほぼ六年を経過した後のことだった。