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◎霊界通信 R060530 「穴」
さて冒頭のAB2枚の写真は、ほぼ同じ位置、同じ時刻に撮影したものだ。だが、二枚には違いがある。それは何か?
まずは手順を追って観察してみる。
この日は通院日で、朝、病棟に入ると、最初に患者仲間のガラモンさんに会った。そこで各々の病状について少し話した。
「動脈硬化の影響で、足の指がほれ」
親指の先などが崩れている右足を見せる。
「一日二日でぐちゃっとなります」
その時、人差し指から出血しているのを発見した。内出血もあり、指先が黒変していた。
まったく見に覚えがない。ぶつけた記憶はないし、長く歩いてもいない。通院だけ。
「理由のない変化はうたがってかかれ」が決まりなので、とりあえず病院からの帰路に八幡神社に寄り、セルフチェックをした。
冒頭画像のAは1枚目で、Bは3枚目。
ここで問いの答えに進むが、答えは「Aには足元などに別bの者が写っている」が最初の発見だ。
実際には、ガラス戸の前に立った時に、最初に認識するのは「穴」の所在だ。黒い玉のよな影だが、黒く丸いので「穴」に見える。これは目視でも見え、私の姿を消している部分があるから、樹木等の影ではないことが分かる。周囲に向かって放射状に筋が出ているのは煙玉と同じ。
拡大すると、まさに「穴」だと分かるが、これはこの世とあの世の接点のようなんものだと思う。これが出ている時には、必ず霊的現象が現れる。
ABの違いで分かりよいのは、右脚の脛の辺りで、何かもやっと見える。
私はこれが「女性が脛に掴まっている」ように見える。たぶん、少女だ。
ここで今朝の出血のことを思い出す。理由のない変化と符合する場所なのだが、まだ関りまでは言えない。
私は目視している段階で、「穴」と「左後ろの人影」を確認しているが、「足元の少女」については画像で分かった。
左後ろには、黒い礼服を着た「大きな女」がいるのだが、これはいつものこと。身長が2メートルくらいで、スカートは膝丈だ。画像では確認出来ぬと思うが、私の場合は、いつも見ているので、片鱗でそれと分かる。影が出来ぬ位置に影が立つ。
目視でそれと分かったので、ここでふと思いつき、しゃがんでみることにした。手水場の先に樹木が見えるが、これが実際にあるのは40~50㍍先だ。しゃがむと、手水場が樹木を遮る部分が大きくなる。
この画像では確認し難いと思うが、やはり「大きな女」が立っているが、私がしゃがんでも、女はそのまま立っており、私を見下ろしていた。よく見ると左手の先が出ているし、二枚戸に二重映りしているのも分かる。いつも「背後に誰かがいる」と感じるが、これは主にこの女だと思う。
最後の画像では、右前の「穴」が周囲に放射状に分散している。
私の左腕の下に黒い筋が入っているが、これは手だと思う。
この時、背後から抱きすくめられる感覚が実際にあった。
今は「寄り憑かれている」実感があり、言わば「騎馬戦の体勢」に近い。中高の体育祭の時に騎馬戦をやったが、前に一人、左右に二人がつき、左右の者は前の者を両手で掴む。
騎馬戦と違うのは、その左右の者の後ろにも別の者たちが長く連なっていることだ。
そして、忘れてならないのは、左右だけでなく「背中にもう一人いる」ということだ。
連なる者の数が増えると、実際に「やたら体が重くなる」。
長く歩けなくなるし、坂道は登れない。
よって、時々、ご供養を施し、身を軽くする必要がある。
とりわけ、強くしがみ付かれると、今朝の出血のように悪影響が生じる。今回、足先の出血を見て、病変が生まれる理由が見当たらぬので気が付いた。
追記1)十五年前、最初に心臓の治療を受けたが、その後の経過が思わしくなく、平地を三十㍍歩くのがキツかった。
その時に、「このままでは死ぬ」と思ったので、まずは仕事を辞め、参詣参拝だけに専念した。医療では治せぬので、他に方法がない。
その後、八年前に再び心臓の治療を受けたが、術後まもなく「お迎え」が来た。
トラウマになるくらい怖ろしい経験だった。
このため、この時「一切の社交を止め、生き残りに専念する」ことにした。
その後、数年前に稲荷の障りを受け、危険な状態になったが、この際には「趣味や道楽を捨てた」。
今思うと、あの世との交渉に際しては、必ず「代償を払う」必要があると思う。
この世にもあの世にも、タダで手に入るものはない。