◎病棟日誌R070107 おまじない
朝、病棟に入る時に「普通なら今日は採血はしないよな。検査技師の仕事が増えるだけだし」と考えた。
この病院では月に2度採血があるが、おせちを食べればカリウム値が上がるから、赤マークのコレクションになる。カリウムは足りなくとも多過ぎても困るやっかいな金属だ。
だが、ベッドに行くと採血用具が置いてあった。
看護師に「手が掛かるだけだよ。今週はスルーすればいいんだよ」と伝えた。
看護師も「先生もいちいちあれが高いですねと言って回らねばならんですね」と笑った。
法律と違い、「なるべくその辺にしましょう」という目安なんだから、いちいち線を出た出ないで目くじらを立てても仕方がない。ストライクゾーンに入ったかどうかを各投球でこだわり過ぎるのはあまり意味が無い。8割くらいがゾーンに入っていれば、それで良い話。「この1球」ではない。
食べなきゃ生きて行けぬので、目安をきちきち守る生活をすると、足りない部分が出るらしく体調が悪くなる。
ある程度、自分にとって大丈夫なラインを見極めつつ、調整する必要がある。
「俺は自分の大丈夫なラインを見極めるために、時々、ちょっとラインオーバーしてみているね」
カリウムなら基準値が5.0前後だが、5.7くらいまではまったく問題ない。6.3くらいで胸部症状が出始める。
知るべきは、何をどれくらい食べた時にどういう数値になるかということだ。
ミカン1個食べると、当方は0.4~0.5くらい上がる。それなら二日の間に1個食べても問題はない。2個だと微妙。
「こういうのは人によって違うから、自分で確かめるしかない。だが、しくじるとその時点で死ぬ」
ビルの屋上の端っこに立ち、「どの辺までは落ちないか」を身をもって確かめるのと同じ状況だ。
オヤジ看護師は「やり過ぎぬようにしてくださいよ」と笑っていた。
ちなみに、この週末はミカンを4個くらい食べたから、赤点必至。6を超えたかもしれん。
ベッドにいると、看護師のO君がやって来た。
訊きたいことがあるらしい。
「俺の後ろに何か憑いてませんか。ちょっと怖い目に遭ったんです」
病棟であの世の話をすることは皆無なのだが、以前、O君の背中にバーサンがしがみ付いているのをまともに見たことがあり、すぐに浄化の手続きを教えた。相手の信仰に立ち入らぬ方法で、悪い者を遠ざける方法だ。その時のことを憶えていたらしい。
「別に今は大丈夫だよ」
オーラも正常だ。
ま、生きている者に背後の者が直接何かをするケースはほとんど無い。心に働きかけるだけ。
O君は何が起きたかを言わずにそのまま去った。
後で少し気になったが、治療が終わり、体重計測に行くと、担当がO君だったので、少し助言した。
「何か気になることがあるのなら、まずは夜寝る時に枕元にコップ一杯の水を供えるといいよ。そして破魔の真言を唱える」
「真言?」
「まじないのことだよ」
「なんて言うんですか」
「いつもどうも有難う。これを飲んで休んでくださいってお礼を言うんだよ。それがまじないになる」
O君は少し拍子抜けがした模様。
あの世の者は「心だけの存在」なので、情動的な人間と変わりない。女性なんかにも感情によって起伏の激しい人がいる。それと同じ。
基本的な対処方法は「人間と同じように向き合う」ことだ。
「ありがとう」は魔法の言葉だ。あくまで緊急避難的だが、ひとは自分に感謝し、愛想良くしてくれる者に対し、いきなり拳を振り上げたりしないものだ。手が止まる。
道を歩いていて、何となく薄気味悪い場所を通り掛かったとする。その「何となく」は実は正確で、大体は傍に何者かがいる。
そんな時は、相手が人である時と同じように、きちんと断りを入れるとすんなり通れる。
「たまたま通りかかった者です。すぐに出ますから腹を立てないでください。悪気はありません」
恐怖心は幽霊を呼び寄せるので、極力怖れぬことが望ましい。
これは日頃より練習していると、普通に出来るようになる。
悪霊が好むのは、怨嗟とか嘆き、欲望だ。それとは逆に嫌うのは、思いやりとか感謝の気持ちだ。これがあると、居心地が悪くなるのか、自分から離れて行く。
努めて明るく考えることが、良からぬ者から身を守る術だ。
「どうだ。世間の自称霊能者より、はるかに実践的だろ。今日から出来るし、信仰を頼らない」
O君は「今晩からやります」と答えた。
よほど気色悪いことがあったらしい。
ま、元から寄り憑かれやすいタイプではある。