◎霊界通信 R070108 初詣
遅くなったが八日に、家人と二人で初詣に行った。平日だがまだ松の内と言うことでもの凄く混雑していた。
神殿の前に行き、デジカメを取り出したが、カメラが作動しない。前夜から充電しており、過充電でもないのにまったく動かない。
これはもしかして・・・。
時々あるが、「写りたくない」という意思表示かもしれん。
画像が粗くなるが、仕方なくスマホで撮影した。
ただ、参拝客が多いので、撮影できたのは2枚だけだ。
正月や例大祭など参拝客が多い時には、その参拝客よりも多くの人影が画像に写る。あの世観察には向いているが、人が多いだけに判別の方は容易ではない。
ただ観察の目的が「自分自身の状態を確認すること」なのだから、当人が認識し、現状の改善に役立てられればそれで良い。
好奇心からでも、ウケるためにやっているのでもないから、当たり前だ。
この場で終始感じ取っていたのは、右腕に掴まる女性だ。
直感の中で最も正確なのは触感で、これは姿が見えずとも認識出来る。稲荷の障りに苦しめられた時の置き土産で、微妙な触感が判別できるようになった。
着物を着た女で、しばらく前からいたようだ。
ちなみに、スマホを持つ両手が写っているので、私の立ち位置が分かるのだが、私の顔の周囲は写っていない。周囲の参拝客が写っているので、私だけが見えない。
これは概ね、周りに幽霊が寄り憑いているから、ということ。
最近は意図的に自分の浄化を行っていない。
画像で「目視出来る人がいるかもしれん」という部分は、二枚目だ。私の前に女性二人の参拝客がいるが、それにかかるようにオレンジ色の煙が出ていることだ。
少しく考えさせられたが、どうやら女の脚のよう。裸の脚だ。
この角度から察して、頭の位置を推定すると、私の顔の左側くらいで、実際ここに頭があった。これは殆どの人が見えないと思う。私は普通の人より可視域が幾らか広い。
とりわけ脚の位置は不自然で「一体どういう姿勢か」と考えさせられた。
前の女性のいずれかに乗っている?
それとも私?
答えは簡単で、「女は胸前にぶら下がるように私の頸にしがみ付いている」という姿勢だ。私から見ると、私が女を抱っこしたのと同じ構図だ。
ここで初めて、「夜中に洗濯機の脱水が回った」理由が分かった。
「私はここにいます」と自己主張をしていたわけだ。
他にもう一体、左側にいる気配があるから、私の顔が殆ど写らなくなるのも当たり前だった。
もしかすると、私の顔の位置の左横にある女の顔を認識出来る人がいるかもしれぬが、そういう人は女の眼(視線)を捉えるかもしれん。もし見えるなら、そういう人はその眼を覗き込むのは止めて置くこと。視野が開くきっかけになるかもしれん。
ちなみに、午前二時頃に電話のベルが一度だけ鳴った。
私は就眠中だったが、その音で目覚めた。
実際の受話器は鳴っておらず、私の脳内で響いた音だ。
もちろん、「起きろ」という意思表示で、これも「私はここにいます」という報せだ。
もう少し引き付け、限界ぎりぎりまで待つ。
一定規模の集団まで集まったら、亡者の群れを政治家たちの許に送ろうと思う。国民を舐めている者にはちょうどよい。
いざ障りが始まるとかなりキツいが、それも因果応報だ。
もちろん、世間的にはただの妄想なので念のため。