日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎早急に問題解決(397)

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◎早急に問題解決(397)
 昨日の雨中画像では、幾つか気になることがあったので、翌日、改めて神社に参拝しました。
 なお、こういう当該記述で神社に迷惑が掛からないよう、以後は単に「神社」とのみ記します。
 私にとっては、きちんと御務めをしている神社やお寺では、常に同じことが起きます。

 神殿前で祈願したことは、次の通り。
1)昨日のが単なる「錯覚」や「気のせい」なら、それが一番望ましい。普通に暮らせるということだから。
2)もし悪縁の兆しなら、今日置いて行くので、引き取って欲しい。
3)仮に、私に付いて来るなら、どういう性質の者でも消滅させる。
 いずれにせよ、異状が起きないことが望ましく、仮に起きていたら沈静化させようということです。

 結果は、悪くないですね。さしたる異状は見受けられません。
 ゼロになることはないのですが、何も主張してこないのであれば、「存在しない」のと同じです。
 すなわち、「気のせい」の領域となります。

 こういう現象に惑わされず生き抜くために必要なものは「強い心」だろうと思います。
 半年前と今とでまったく違うのは、「怖れ」を微塵も感じないことです。

 生きている人間は、肉体と自我の壁がありますので、悪縁は容易に入って来られません。
 滅多にありませんが、感情の起伏が激しい時や、悪縁を受け入れた時には、同化されてしまうので、「自分には寄って来るな」と強く念じることです。
 いつも書く通り、「怖れる」のは「受け入れる」ことと同じなので、「悪影響などはほとんどない」と思うことです。

 映画やドラマで描かれることは実態とは全然違います。
 前回書いたように、「悪縁(霊)は心に取り憑いて、弱らせる」のです。
 皿を飛ばしたり、ドアを開け閉めしたりすることは、たまにしかありません(完全にゼロではない)。

 もちろん、侮ることなく、きちんと敬意を持って、かつ断固とした態度で接する必要があります。