◎視線の正体
前日に「視線がある」と書いたが、指摘したことにより、姿が出て来た。
なお、「出て来た」とは、見えている絵図は同じだが、今は「意思」(もしくは「念」)が乗っているという意味だ。
家人の周りに霧(「幽界の霧」と呼んでいる)が出ているので、異常は明らかだったが、視線にはやはり主がいる。
さすが神域で、ここには、この世の参拝客も、あの世の彷徨者も集まる。
その場で感じていた視線が、単に「気のせい」「妄想」だけではなく、実際に「接点がある」ことを示唆するものだと分り、ほっとする。
もし、自身が見ているものが「現実の一端」なら、やはり私の寿命は既に終わっている。
実際に、毎月のように、体のどこかに信じられない速さで腫瘍が出来るし、組織が崩れたりするから、かなり死人に近いことは疑いない。
それでも、そのことは同時に「まだ可能性がある」ことも示唆するものだ。
それなら、今歩んでいる道はけして間違いではないということだ。