日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎顔だけの人 (一年前の振り返り)

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令和元年十月六日、七日撮影

◎顔だけの人 (一年前の振り返り)

 画像は一年前の十月六日と七日に撮影したものだ。

 六日に撮影したら、「説明し難い画像」が撮れたので、七日に再度訪問し、位置関係を確認した。

 それ故、まずは七日の画像で位置を確認し、六日の状況を確認する、という手順になる。

 

 六日の画像を撮影した直後には、「柱の陰に父親がいて、その下に幼児の手が写っている」と見なしたのだが、しかし、どうにも理不尽な点がある。

1)男は顔だけで、首から下が無い。 

2)地面から五十㌢くらいのところに映っている手は、男の顔と同じくらい。すなわち大人の手の大きさ。

 

 男が「黒っぽい服装をしていたから」も想定したが、それに合うようなシルエットは無い。それらしきものは、後ろの壁の装飾だ。

 一年が経ち、辿り着いた結論は、やはり「説明のつかない現象」だということだ。

 

 想定される事態は二通り。

イ)男はこの世の者ではない。撮影者(私)とは三十㍍離れているが、カメラ目線で私を見据えている。この男が実在なら、下の「大人の手」はどう説明できるか。

ロ)男は実在で、男の前に「何か」が立ちはだかった。幽霊が前に立つと、画像から重なった部分が消失することがある。 

 

 私はイ)男は生きた人間ではない、と思うので、今回は男のアイマスクを外した。

 死者には個人情報を配慮する必要はない(既に「個人」ではなく「故人」)。

 この判断の直接の根拠は、「私の眼を見据えている」からというものになる。

 

 死者の大半は私のことが見えるようで、概ね常に私のことを見ている。そして、私に寄り添うようについて来る。続々とそれが連なり、隊列を為すことがあるようだ。

 幼児期から、何百回も「亡者の群れに付きまとわれる」夢を観て来たが、あながち「ただの夢ではなかった」ということらしい。

 誰の身にも似たようなことが起きているわけだが、「見られやすい人」と「見られにくい人」の違いがあるようだ。

 こういうのは、まったく無い方が穏やかに暮らせる。