◎夢の話 第923夜 「ファクシミリ」
13日の午前2時に観た夢です。
この日、故買屋の俺が呼ばれて行ったのは、山村の中に建つ社員寮だった。
「故買屋」というのは、今風に言えばリサイクル商になる。俺の会社は買い取り専門で、古物を買ってはあれこれ直して、販売会社に卸すから、「故買」業者になるわけだ。
この社員寮は奥深い山の中に建っていたが、これはダム建設のための作業員を宿泊させるためのものだ。ここは巨大ダムで、建設に十年はかかったから、こういう施設が必要になる。ダムはひと月前に完成した。
この建物自体は三階建てで、一階には小さいながらホールや食堂があり、事務所もついている。二階三階が個室で、部屋数は三十ほどになる。
ほぼ単身赴任者ばかりだったから、六畳一間の部屋だけで出来ていた。
今日の客は、その寮に住む最後の一人だった。
男は四十過ぎくらいの年恰好だった。
「もう要らなくなったから、全部引き取ってください」
部屋の中には、テレビ、冷蔵庫など電気製品があったが、総て一人用のサイズだった。
「では、使えるかどうか確認して査定しますね」
「別にどうでもいいよ。もう捨てるヤツだもの」
「いえ。廃棄物だとリサイクル料を頂くことになってしまいます。使える物を再販売するなら、リサイクル料が発生しません」
「そうなの」
「ええ」
こんなやりとりを経て、俺は査定を始めた。ひとつ一つに電源を入れ、正常に動くかどうかを確かめて行く。
あまり使っていなかったのか、テレビ、冷蔵庫、電子レンジ等の家電製品は難なく動いた。
俺が査定する間、男は窓の桟に座り、黙って外を眺めていた。
その男の背中に俺は声を掛けた。
「ここでは何年くらい働いたのですか」
男が顔を向けずに答える。
「七年くらいだね」
「ずっと単身赴任だったのですか?」
「ああ」
「それじゃあ、何かと不便だったでしょうね。ここは山の中ですから」
俺の住む街はこの村の隣だが、ここに来るまでに一時間以上かかる。直線距離はそれほどでもないが、ほとんどが山道だった。
ここで部屋の隅に目を向けると、ファクシミリ機が置いてあった。
「今はファクシミリのついた電話機を使う家庭は少なくなりましたね」
携帯があれば、大概の連絡がそれで済むから、家庭用電話を置かぬ家も増えている。
「ここは携帯の繋がりが悪いから置いてあるんだ。でも、連絡はほとんど事務所の方で受けるから、ここは個人用途になる。どうせ夜にしか戻って来ないから、ほとんど使わなかったね」
「まだ、電話回線が繋がっていますか」
「ええ」
ファクシミリに電源を入れてみると、難なく立ち上がった。
通信も問題なさそうだ。
「これも大丈夫そうですね。使えます」
「そう」
男は依然として浮かぬ顔で外を見ている。
男の顔があまりにも暗いので、俺はつい男に訊ねてしまった。
「最近、何か良くないことでも?」
男は窓から視線を外し、室内を振り返ると、数秒の間、俺の顔を見つめた。
「貴方は所帯持ち?奥さんや子供がいる?」
「ええ、と答えたいところですが、女房とは一年前に別れました。でも子供が一人います」
また男がしばし沈黙し、少し間を置いた後で口を開いた。
「俺には息子が一人いたが、三か月前に亡くしてね」
ため息。
「お幾つだったのですか」
「六歳」
「可愛い盛りですのに、お気の毒です」
なるほど。子を亡くしたばかりだったか。それならこの人が沈鬱な表情をしているのも頷ける。
事故なのか急病なのかは知らぬが、俺の方から詳細を訊ねるのは気が引けた。
俺にも息子がいるから、息子と会えぬ寂しさは分かる。
今では、息子に会うのも四五ヶ月に一度だけだった。
すると、ここで部屋の隅から「プーッ」という着信音が聞こえた。
ファクシミリが反応している。
俺が機械のところまで行ってみると、「留保」文書がメモリに残っていた。
着信ランプが切れており、外目では分からなかったと見える。
「暫く前の文書が残っていますが?」
俺が確認すると、男は「消去していいよ」と答える。
ファクシミリには、未出力の文書の他に過去文書が割と沢山記憶されているようだ。
紙の挿入口を見ると、ストッパーがずれている。
(これじゃあ、空出力された文書が幾つもあっただろうな。)
俺が前に使っていた機械も同じエラーを頻繁に起こした。着信して、出力するわけだが、実際には紙にプリントされない。ただ空回りするだけだ。
すると、ここで「ツーッ」と男がして、紙が一枚出力された。
電源を入れたことで、未出力扱いのものが出力されたのだ。
俺はその紙を手に取った。
その出力紙は、こんな文面だった。
おとうさん
げんきですか。ぼくはげんきです。
おかあさんとなかよくくらしています。
しごとがおわったら、またみんなでどこかにでかけたいです。
ではからだに気をつけて。
ゆういち
それは男の息子さんが父親に当てた手紙だった。
日付を見ると、ちょうど三ヶ月前だった。
(これは息子さんが亡くなる直前に書いたものだな。)
時刻は夜の九時過ぎになっている。
俺はすぐにその紙を男に渡した。
「これ。お客さん宛に息子さんからです」
男はその文面に目を通すと、俺に背を向け窓の方を向いた。
肩が小刻みに揺れている。
「女房はパートに出ていたから、時々家に帰るのが遅くなっていたのです。これは家に一人でいる時に息子が送ったものでした。亡くなる二日前に」
男の息子は、家に一人ぼっちでいる時に、父親に向けて手紙を書き、「僕は元気」だと報せた。
だが、そのことは、そうせずには居られぬほど「寂しかった」ということだ。
俺はここでもう一度ファクシミリを確かめた。
機械のメモリには、同じ番号からの通信文が十幾つ残っていた。
「これはウチでは引き取れません。お客さんにお返しします」
このファクス機には、亡くなった子の思い出が沢山詰まっている。
今、ここで消去するわけには行かない。
男が「ウン」「ウン」と頷く。
それと同時に、男の両眼から堰を切ったように涙が零れ落ちて来た。
その涙を見ると、自分の子に思いを重ねたのか、俺も同じように涙を零した。
それから、男二人は顔を向けあったまま、しばらくの間、むせび泣いた。
ここで覚醒。