◎古貨幣迷宮事件簿 「奥州大型七福神銭の拓図照合」
数年前に奥州七福神銭の採拓をしてあったが、今回、画像との照合をしてみた。
収集界では「自分で拓を採ればいろんなことが分かる」と言われるが、やはり一理ある。山谷の深さや砂目などが直接的に感じ取れる。
体感的に知識が得られるという点で有用性は高い。これは採拓を行う本人についての話である。
一方で、水を使うこともあり、管理が十分でないと、青錆を浮かせる要因となる。
そのことを嫌い、25年くらい前に、一切の採拓を止めたほどだ。
今ではスキャナやデジカメで容易に写真を撮れるのだから、「見る」という用途での拓の有用性は小さい。唯一、モノクロで紙出力をする時に、この方が見やすいという範囲になる。
面白いのは、銅母から通用、写しに下るにしたがって、「拓図が歴然と質の劣るものになる」ことだ。見事な品は採拓にも手が掛からない。
画像と拓図を並べてみると、ものによって大小の違いが発生するように見えるが、概ね目の錯覚である。重ねてみると、誤差の範囲になっている。
あるいは、紙を濡らして使うことで、乾燥時の縮小の程度により幾らか相違が発生するのかもしれぬ。
江刺絵銭はまさに「未開拓のジャングル」で、南部絵銭や仙台絵銭から比較的独立した様式を持つ。この辺が上手く整理できれば、相当楽しいと思われるのだが、如何せん、絵銭の場合、密鋳銭と同様に資料らしい資料が存在しない。
この銭種は、過去二十年間、収集品がまったく増えなかった。
それだけ「存在数が少ない」ということであるが、副次的な変化が見られるので、素材としてはかなり古くに誕生したのではないかと思われる。
しかし、さすが母銭は見事だ。おざなりな拓の採り方をしても綺麗に出る。
かなり目にある収集家にこれらを見せたところ、母銭を指差して「これを2万で売って貰えませんか」と言われたことがある。
思わずクスクスと笑ってしまった。研究のためとはいえ、浄法寺写しを五六万で買わされている。母銭が二万なら、写しは五千円だ。アリエネーし、そもそも購入価格よりも安い。
見たことが無いのだから、ここは「幾らなら譲って貰えますか?」だろう。
もちろん、それでも不躾な話だ。ま、答はそもそも「譲りません」だ。
入札やオークションに出ていたのを「たまたま買った」のではなく、足を使って収集したものなのだから、譲る時には「総て一括」となる。
やはり、「七福神銭は数が多い」という先入観を持っている人が多いわけだが、小型のほぼ同じ意匠から「ひと度外に出る」と存在数はかなり減少する。
大型に至っては、まず行き当たることは無い。それを知らぬだけ。