日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎外に出られるように(638)

令和四年五月二日撮影

外に出られるように(638

 ようやく外に出られるようになった。

 まだ体力は回復していないのだが、買い物くらいはナントカ対応できる。

 つい幾日か前までは、平地数十㍍の距離が歩けず、立ち止まってしまう状態だった。

 もちろん、普通に眠れるようになって来たのは、この数日のことなので、足腰に力が入らない。

 

 この日(二日)は生憎の雨。

 だが、家人の所用で神社の近くまで行くことになったので、私は別行動で神社に参拝することにした。

 小雨になったところで車から降り、神殿に向かう。

 前回は途中で三度足を止めたが、この日は立ち止まることなく神殿に行けた。

 つい先ほどまで、かなり激しく雨が降っていたので、周囲に人はいない。

 

 神殿での祈願の基本は、感謝することだ。

 「こんなヨレヨレではありますが、これまで生きて来られたことに感謝します」

 実際、六七年前にも「もう自分は幾らも持たない」と思っていた。

 今はその頃と同じ状態だが、逆にその間生きて来られたということだ。

 これがオマケの人生時間だったなら、これまでもこれからも「丸儲け」の話だ。

 喜怒哀楽を味わえる。

 

 数枚ほど撮影したが、これからは画像にさしたる異変が起きぬだろう。

 もはや「黒い女」が自ら姿を現わして、己の所在を知らしめる必要が無くなったからだ。

 もし、最近の出来事が現実に繋がっているなら、もはや「黒い女」は私の傍にいる。

 私が存在を疑うこともないので、自らを示す必要もない。

 

 画像には、幾つか歪みが出ているが、目で見えて「それが人影だ」と確信するようなものはない。

 だが、崩れかかった廃屋は境内には存在しないし、あるいは石柵が崩れて見えたりしている。

 近くに「何か」がいる時の典型的な兆候だ。

 当たり前のことだが、画像に影響を及ぼすようなガラス自体の歪みのようなものは無い。

 

 帰宅してすぐに横になったが、寝入るとこんな夢を観た。

 久々に親族で温泉に行くことになり、実家に参加者が集まった。

 母は私の車で、叔父二人や従姉らが顔を見せた。

 総て既に故人だ。

 「親父は?」と母に訊くと、「会議場から直接現地に行く」とのこと。

 この辺で、私は自分が夢の世界にいることに気付いた。

 この夢は時々観る。

 「温泉旅館に着けば、さぞ驚くような出来事が待っているだろうな」

 あの世の一丁目は、当人が思い描くことがかたちとなって現れる世界だ。 

 それなら、デロデロと「幽霊ともバケモノともつかぬ奴ら」が顔を出すに違いない。

 ま、今後は目覚めている時にも同じようなことが起きる筈だ。

 そういうのは慣れるしかないが、こういうのは割と平気だ。

 「だが、旅館に入ったら食事はしない方が良さそうだ」

 あの世の一丁目で飲食すると、もはやそこから出られなくなる。

 ここで覚醒。

 

 これからは「あの世ウオッチング」に関する言及がかなり減る。

 自分なりの新たな発見を記録に残す必要がなくなった、ということ。

総て「黒い女」が示唆してくれると思う。

 これまでのような「かもしれぬ」といった疑念が混じることがなくなれば、敢えて言葉に出して示す必要もない。自分自身がそれと分かればそれでよいのだ。

 

 医療や自己免疫の強化が及ばなくなった時には、心と魂の分野で体制を立て直すしか道は無くなる。色々な選択があるのだが、病状が深刻になる前の段階より、生と死を見通す修練を積んで置くと、病状が改善されることがある。

 もちろん、自身の死後までの展望を立てるなら、その選択には熟慮が必要だ。

 私は最終のカードを出したが、それも、「これまで何百回も事前に示唆があった」ことを踏まえてのものだ。

 おそらくこのまま病状が改善され、また幾らかオツリの人生が得られると思うが、その分のツケを死後に払う必要が生じる。これはかなり重い代償だ。