◎実際に体験した「ちょっとだけ怖い話」 2)扉が開かなくなる話
脚色を避け、事実に即した出来事をなるべく平坦に記す。怪談まで行かず、日常の中で起きた「ちょっとした怖い話」程度の内容となる。
2)扉が開かなくなる話
かなり昔のことだが、出先で、かつての彼女に偶然再会した。
その日は首都圏のホテルで会議があり、これが長く掛かったから、そのままそのホテルに泊まることにしていた。会議が終わり、ロビ-で出席者を見送った後、館内のカフェでひと息ついていると、たまたま近くのテーブルに居る彼女に出くわしたのだ。
彼女の方も、偶然、用事で同じホテルを訪れていた。
四年も経てば、別離の時のあれこれについては記憶が薄れがちだ。
食事をしながら、話をすることにした。
彼女の名はショウコ(仮名)と言う。
当時、俺には付き合っている女性(仮名アケミ)がいたが、これが独占欲の強い女で、日頃の束縛がキツかった。
アケミは日に五回六回と電話を掛けて、俺の所在を確かめる。
「今どこで何をやってるの?」
「仕事中だから、電話を掛けて来るなよな」
アケミが掛けたのは職場の机の電話だったから、実際、仕事の邪魔になった。
だが、しばらくすると、アケミはまた掛けて来る。この繰り返しだ。
「いい加減にしてくれ」と多少きつ目に言うと、アケミは少し黙り、それから「浮気をしたら許さないからね」と呟くように言った。
久々に再会した昔の彼女との会話は楽しかった。
ショウコはこの市内在住で、あれから別の男と結婚したのだが、半年も経たぬうちに離婚したらしい。
お互いに、その後、別の彼氏彼女を経験しているから、自分たちの間に起きた面倒ごとを概ね忘れかけていた。と言っても、かつては好き合った者同士で気心は知れている。久々の再会でもあり、会話が弾んだ。
気がつくと、ショウコは私の部屋に来ていた。
元々、男女の関係にあった仲だから、垣根は低い。
部屋まで来たということは、当然、この部屋に泊るつもりだろ。
「シャワーを使えば?」と言うと、ショウコはバスルームに向かった。
ベッドに横たわっていると、部屋の電話が鳴った。
アケミからだった。
「疲れたから、もう寝るところだ」
「そう」
その後、アケミは黙ったままだが、しかし電話を切らなかった。
十秒ほどの沈黙の後、アケミが口を開く。
「ね。そこに誰かいるの?」
「いるわけないだろ。仕事で来てるんだし、ついさっきまで顧客の相手をしていた」
アケミが受話器の向こうでこっちの気配を計っているのが俺にも伝わった。
「もう切るぞ。疲れたから」
ふた度、沈黙。
「もし浮気したら、すぐに分かるよ。そしたら酷いことになるからね」
「はいはい。それはもう聞いたよ」
すぐに受話器を置いた。
程なくショウコが浴室から出て来た。
改めて、再会を祝し二人でビールを飲んだ。
それから、今度は俺の方が浴室に向かった。
浴室のドアノブに手をかけ、扉を開けようとしたのだが、どうしたことか扉が開かない。
「あれ。おかしいな」
ホテルの浴室は内鍵で、中からでしか鍵をかけることが出来ないのに。
ベッドの方を見ると、ショウコはそこにいる。浴室には誰もいない筈だ。
すると、頭の中でアケミの「許さないからね」という声が響いた。
「まさかな」と打ち消す。
扉は必ず開くはずだから、俺は力任せにドアノブを引っ張った。
すると、がりがりと言う音がして、扉が開いた。
鍵の状態を確かめると、どうやら鍵が少し斜めに動いていたらしい。
「引っ掛かっていたのだな」
ああ良かった。
「でも、何で鍵が回転したのだろうな」
シャワーを浴び、ベッドに戻る。
そして俺とショウコは、四年の間隙を埋めた。
そのまま小一時間が経ち、ショウコが体を起こした。
「トイレに行く」
そう言って、ショウコは浴室に向かった。
だが、浴室の前で立ったまま、中に入ろうとしない。
それから俺に声を掛けた。
「ねえ。扉が開かないけど」
またか。
俺は起き上がって、浴室の前に行った。
ショウコに代わってドアノブを引くと、今度は完全に鍵が掛かっていた。
「どうして鍵がかかったのかしら」
この鍵は内側からくるっと掛け金を回さぬとかからないのだ。
俺は平静を装って、ショウコに言った。
「さっきも同じことが起きたよ。きっと鍵が曲がっていて引っ掛かるんだよ」
俺は頭の中で、「中にいる時に扉が開かなくなったなら、それこそ往生するが、内鍵が引っ掛かったなら、まだ言い訳がつく」と思った。
先ほどと同じように強く引いたが、今度はしっかりかかっていたのでびくともしない。
しばらく思案させられた。
「廊下の端に外のトイレがある筈だ」という考えが頭を過ぎったが、しかし、そこで気が付いた。
ホテルの浴室で客が自死などした時に、外から開けられるように、必ずバックドアがある筈だ。
要は「外から開けられる仕組み」が必ずあるということ。
ドアノブをよく見ると、中央にマイナスの刻みの入ったビスが埋め込まれている。
マイナスドライバでこれを回せば、鍵が動く仕掛けだろう。
客がドライバを携帯しているケースは少ないから、セキュリティ上は問題ない。何かしらトラブルがあり、かつ扉を開けたい時には、フロントに言い付けて、ドライバを持って来て貰えばよい。
たまたまだが、俺は先がへら型になった特殊な器具を持っていたので、鞄からそれを取り出し、ドアノブのビスに差し込んで扉を開いた。
浴室から出ると、ショウコは俺に言った。
「何だか気持ちが悪かったわね。中に誰かがいたみたい」
少しく俺の表情が歪んだ。
ここで気付いたが、俺は俺の彼女、アケミのことを、かなり重く感じていた。
アケミの度を越した独占欲は「愛情のしるし」などではなく、己の欲望を満たそうとするものだ。
何だか白けた雰囲気になり、結局、夜の内にショウコは自分の家に帰って行った。
翌日、俺は車で家に帰った。
道々考えたことは、もちろん、昨夜のことだ。
「ま、常識的に考えれば、ドアの不具合だろうな。それが最もありそうな線だ」
アケミの生霊とか、あるいはアケミに取り憑いた悪霊の仕業なんかじゃない。
日常生活で、ごく普通に起こり得る小さいトラブルのひとつに過ぎない。
そう納得づけて、マンションの自室の扉の鍵を回した。
「カチャ」と音を立て鍵が開錠される。
だが、扉を引こうとしても、その扉が開かない。
幾ら力を込めて引いても、ピクリとも動かぬのだ。
「鍵は開けた筈だが」
もう一度鍵を差し込み、「ロックして開ける」を繰り返した。
だが、扉を引こうとしても、一ミリも動かない。
扉の一か所が邪魔をするのではなく、まるで扉全体が壁に貼り付いたかのような感覚だった。
ここで俺は昨夜からの出来事が「全部繋がっている」ことに気付いた。
「誰か知らんが、俺にいちゃもんを付けているヤツがいる」
だが、俺は子どもの頃から、この手のことが幾度か起きていた。
対処法も何となく分かる。
「おい。ここは俺の部屋だ。俺が借りているのだから、入るのを邪魔するな。ここは俺のテリトリーなんだよ。お前が自由にしていい場所ではないからな」
するとその瞬間、ドアがパッと開いた。
これで逆に、昨夜の浴室の扉が「何者かの意思によるものだった」と悟ることになった。
世間の怪談のように、この先に「アケミの生霊」や「アケミに取り憑いた悪霊」の話が続くわけではない。
俺はアケミに対する愛情がすっかり冷め、この女とは別れることにした。
別れを決意してから、実際に別れるまでには、もちろん、半年以上かかった。
ショウコの連絡先を聞いてはいたが、こちらもすっかり興が冷め、その後、一度も連絡しなかった。
現実に起きる「ちょっとした怖い話」は概ねここまでで、巷に流布される怪談の類は、この先の展開を「盛った」話が大半だ。
出来事の進行中には、不可思議な異変が起きても、それと自覚出来ぬことの方が多いのだ。
昔、学生の頃に、デートした相手の後ろに老婆が取り憑いているのを見てしまい、その後、連絡するのを止めたことがある。本人にも他の誰にも説明できぬ事態だから、終始無言を通したが、そのことで俺は女を弄んだ悪いヤツになっていたらしい。
その時と同じで、何とも説明し難い事態だし、説明しても嘘や作り話と思われるか、「気持ち悪いヤツ」と思われるかのいずれかだったろう。「気持ちの悪い男」よりはただの「悪い男」の方がずっとましだ。
ちなみに、こういう時の最初の対処法はこれになる。
1)自分が相手(幽霊など)のテリトリーに入り込んでいた時
「けしてご迷惑をかけません。すぐに立ち去りますので、通行を許して下さい」と丁寧に頼む。
2)自分のテリトリーに相手(幽霊など)が入ってきた時
「ここは自分の領域だから、出て行け」と強く命じる。
お経や祝詞、お祓いも要らず、相手の正当な権利を認めるか、自分の権利を主張することで、相手との間に「線を引く」ことが出来る。
案外、これだけであっさりと通過出来ることが多い。
当たり前だが、「スポット」などに飛び込んだ時には通用しない。別に魂胆や思惑があったからだ。
遊び半分で「スポット」に行ったりすると、往々にして帰路に人数が増えていたりするが、これも「あえて人込みの中を通る」ことで、すんなり離れたりする。
もちろん、敬意を払うことが必要で、あの世を小馬鹿にする者にはそれなりの応報が待っている。
その多くは「死後に起きる」から、世間には知らされない。
生きている内に「呪い殺される」なら優しい話で、本物の「祟り」は死んだ後にやって来る。
悪縁に吸収され、地獄の時間を過ごすが、これには終わりがない。既に死んでいるので、終わりそのものが来ないのだ。
追記)学生の時に、一人の女子と短期間付き合って、すぐに連絡しなくなったことがある。それにはひとつのきっかけがあった。
皆で海に行った時に、その女子が泳いでいるところを見ると、後ろにもうひとつ頭が浮いていた。
その海に居た者ではなく、女子が前から連れていた者らしい。
対処の仕方も分からなかったし、口にも出せなかったので、結局何も言わなかった。
やはり何となく気が引けて、その娘に連絡し難くなった。
後で分かったが、結局、大なり小なり誰もが常時、何体かを連れて歩いている。
普通はそれが見えぬだけなので、その子に特別に起きている「怖ろしいこと」でも何でもなかったのだ。
むしろ、昔から、そういうのを「見てしまう」私のせいだったとも言える。
悪影響などは無いのだが、今ならさらっと祓ってやれると思う。
幽霊など誰の身にも、常時ついたり離れたりしている。
すぐに処置すれば、どうということもないのだった。
多くの人は「鰯の頭」を怖れているわけだが、たまに「鮫」がいたりするからやっかいだ。