日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎あのひとが戻って来た

あのひとが戻って来た

 先日の画像を点検すると、自分の周りに煙が取り巻いている。

 周囲にはびゅうびゅうと光を歪める「気」が流れているのだが、私の周りは安定している。

 殆どの人は見えぬだろうが、白く光る煙に囲まれている。

 左肩の煙は「白い服の女」だ。

 これは私サイドの者で、私の手に手を添えている。

 私と同類が見れば「オーラが出ている」と思うだろう。

 

 令和二年にトラが死んだが、その時を境にこの女の霊は、ふっつり姿を消した。私がトラの死を予期できず、見取らなかったことが原因かもしれん。

 「いつになく離れようとしない」と気付いていたのに、その場に猫を放置して私は去った。

 最近、「総ての出来事が繋がっている」ことに気付き、過去五六年を遡って検証をしている。

 「何故この時にこれが現れたのか」という理由をその時々の状況を辿って解釈するわけだ。

 この女性は、いつも傍にいて、さりげなく助言してくれていたのだが、これまでそれに気付かなかった。

 見ようによっては、「恐怖の心霊写真」の連続なのだから、ある程度仕方がないところもある。

 

 悪夢のような一年(または数年)が終わり、あの女性が戻って来た。もはや信頼関係を損ねることはない。私が死ぬまで、そして死んだ後も「同行二人」でいようと思う。

 

 程なく、これまでは考えられなかったことが出来るようになると思う。とりあえず、入院病棟を訪れ、お茶農家のオヤジさんには会おうと思う。間に合えば、状況を改善できる。

 

 今回はまさに「イカれた奴のたわ言」だが、画像には自分でも驚くくらいオーラが出ている。「コイツは何者だよ」と思うほどだが、これは私本人ではなく「白い服の女性」に起因することは疑いない。

 朗報は「たぶん、まだ当分死なない」こと。一年前と比べると、雲泥の差だ。

 

追記)私のような「やさぐれた者」にも「守護天使」が来てくれる。だから、「きちんと生きる」「ひたすら努力する」ことは大切だ。ここで言う「守護天使」はあくまで例えで、言葉の意味は宗教者が言うそれとは違うので念のため。

 はっきり記すが、信仰(神)を語る者は多いが、それを「出して見せられる者」はいない。

 少なくとも私はあの世の姿をソコソコ出して見せられる。

 あれこれ言うのは、「同じことが出来てから」だと思う。