◎夢の話 第1115夜 誰もいない街
八日の午前三時に観た夢です。
我に返ると、俺は映画館のフロントにいた。
「映画を観に来たんだっけか」
フロントには人が居らず、周囲を見渡しても、フロア全体に人がいなかった。
灯りは点いている。
休みというわけでもなさそうだ。
壁の時計を見ると、あと数分で映画が始まる時刻だった。
フラフラと入り口に近づく。
やはり誰もいない。
とりあえず中に入ってみることにした。
手にチケットを握っていたから、係員が来て問われても大丈夫だ。
目当ての部屋を探し、その中に入った。
俺が座ったのは、銀幕の正面のど真ん中の椅子だ。
程なくジリジリとベルの音が響く。
「人が見当たらぬのに、一体誰が鳴らしているのだろ」
うーん。
しかし、ベルは鳴ったが、映画は一向に始まらなかった。
ベルだけ自動で入った、ということか。
仕方がないので、席を立ち、もう一度、エントランスに戻った。
館内は普段見るのと同じで、灯りは点いているし、売店の機器類も動いている。
コーヒーが沸き立っていた。
窓の近くに寄り、外を眺める。
ここは二階で、映画館の外には、すぐ下が道路になっているのだが、車も通行人も見当たらない。
街はいつもの街なのだが、しかし、動いているのは人の触らぬ機械だけだ。
ここで気が付く。
「何だか、あの世の一丁目に似ているよな」
前に一度、「死出の山路」の先を覗いたことがあったが、道の先には裏寂れた街があった。
家々が並んではいるが、しかし、誰一人として人が見当たらなかった。
行く先に迷った死人が最初に訪れるのは、この「誰もいない街」だ。
「してみると、俺はついに死んだのか」
死に間際のことをまったく思い出せぬが、俺はもう死んだような気がする。
ここで、ぼんやりと覚醒。
久しぶりに悪夢ではない夢を観た。
酷い悪夢を観るのは、体に疲労が溜まっている時で、すなわち、過剰な負荷をかけ過ぎることによる。
机に向かっていられるのは一時間半くらいが限度で、その辺を越えて集中すると、途端に集中力が切れ、具合が悪くなる。所詮は障害のある者だ。
やりたいことの二割も出来ぬから、結局、自分を責める。
「こんなことなら、もう生きていたくない」
これが悪夢を助長する。
要は、逸る気持ちを押さえて、早めに切り上げる癖をつけ、細目に取り組むへきだということだ。
天保五年に、八戸藩で強訴(「稗三合一揆」)が起きて、家老の野村軍記が失脚したが、「代わりの家老が誰か」というところで、もう幾日も止まっている。足で調べることが出来なくなったので、文書検索しか出来ぬが、先に進まず歯がゆい。こういうことの連続なので、つい自分を責める。
進まぬのに、時間的体力的限界が来ると、嫌が応もなくやめなければならないが、このせいで、また自分を責める。寝ると悪夢で、覚めていても悪夢は続く。