◎夢の話 第1119夜「銀座にて」
三月十一日の午前零時に観た取り留めのない夢です。
銀座に食事に出かけた。
相手はアラ四十くらいの女性(たぶん三十八歳)で、こちらは専ら聞き役になった。
「あれがどうの」「これがどうの」
こちらが口を開くと、どうしても説教口調になるから、ただ受け止めることに徹する。
ひとしきり話した後で、我に返る。
「俺が宴会や会合には出ないと宣言したのは、もう十年も前だ。一杯二杯飲んだだけで気分が悪くなるからそうした。だが、今はこうやって外で飲んでいる。おかしいぞ」
その途端に、鳩尾がぎゅうっと重くなった。
「ああ。コイツは夢だ。俺は例外や特別を作らぬから、これまで生きて来られたのだ。その俺がこうしているということは、すなわちこれは現実ではないということだ」
ここで自ら夢を中断し覚醒。
最後に銀座で飲食店に入ったのは、既に二十年以上前だ。
ふらっとこぎれいな店に入り、コーヒーを頼んだら一杯千三百円だった。
「さすが銀座だ。コーヒーが千三百円なのに、カレーが千二百円。カレーの方が安い」
ここで兄の話を思い出した。
兄が会議で上京した折、銀座の寿司屋に立ち寄った。
ほんの時間調整だったので、中トロ二貫を食べ、ビールの小瓶を飲んだ。
「その勘定が一万七千円で」
銀座の有名店でも、「ひと揃い三万円」くらいだろうから、中トロ二貫でそれは流石に高い。
だが、大間のマグロの一番良いのを銀座で食べたら、それくらいの売価を付ける必要がありそうではある。場所と空気がもっとも高いところだ。
それが十年以上前の話。
今は円安なので、外国人の感覚なら、「別にフツー」かもしれんが、一般国民にしてみれば気軽に「週に三度」と言うわけには行かない。
生活実感と「通貨の価値」が乖離している。
都合の良い輸出産業もあるだろうが、下々の国民は楽ではない。
この辺に考えが及ばぬから、この内閣はダメだと言われるわけだが、そんなことは総理の頭には無い。目の前のことを凌ぐことで頭が一杯だから、中長期の展望がない。「今」しか見ていないわけだ。
ま、選挙があれば、否応なしに総理は交替だろうな。
できれば政治家も辞めてくれ。貴方には向いていない。
国民生活は物価高と増税で苦しくなるばかり。
鬱屈が「生活保護者」など弱者マイノリティに向けられるようになって来て、ネットでは「生活保護叩き」が盛んだ。
この辺も論点ずらしで、裏側で政府がおぜん立てをしているケースがあるから要注意だ。目的は福祉の制限で、これを画策している時に、必ず「不正受給者」のニュースが出る。ソースを辿ると政府が出しているから確実だ。
世論を醸成して、政策を変え福祉を制限する動機づけにするということ。
責めるべきは生活保護者ではなく、政治の在り方全般で、金持ち優遇の発想だ。
その不当な利益を得ている代表がNHKなどで、今やテレビはオワコン産業なのに、利益保持の画策をしている。叩くのはこっちで生活保護受給者ではない。
申請しても、これが認められるケースは少ない。固定資産なし、車なしで、持病があっても「働ける」と判断されれば下りない。
ところで、数日前に久々にレンタルビデオ店に寄ったら、新作の棚が薄っぺらになっていた。
考えてみれば、今や動画を視聴するプラットホ-ムが沢山あるから、新作映画の多くがそっちの方で観られる。
実際、借りた映画のうち二本の新作が、既にネット経由で観たものだった。パッケージでは違った印象になるから、さらなる新作が出たのかと誤認した。
レンタルビデオ店は「ネットでも観られぬような古い映画、マイナーな映画」を借りるための店に変わって行くのだろうと思った。
後で考えたが、せっかくこぎれいな女子と飲食していたのだから、夢とは言え、もう少し楽しめばよかったと思う。
現実にはこれは「棺桶に近づく行為」なので、もはや起きない。