◎夢の話 第1126夜 「夜の訪問者」
八日の午前三時に観た夢です。
居間で横になっている。
震災の時に家族皆が居間に集まって寝たが、その後私の心臓の調子が悪くなり、そのまま居間で寝袋に入って眠るようになった。二階への階段が登れぬためだ。
その習慣が今も続いており、居間の床に寝袋を敷いて、その中で眠っている。
既にこのやり方に慣れ、背中の下が固くないとよく眠れなくなった。
この日も同じように寝袋に入っていたが、半覚醒状態のまま天井を向いていた。
体自体は眠っているが、頭の中は半ば覚醒している。
すると、居間の扉を開けて人が入って来た。
見知らぬ男だ。
眼を瞑っていたのだが、どういうわけか男の姿が見える。
「ならこの状態自体が夢なのだな」と思った。「半覚醒状態にある」のではなく、「半覚醒状態にある夢を観ている」わけだ。
だが、私の傍らに立つ男が口を開いた。
「いや違うよ。あなたは起きているんだ」
「え」
「正確には、体も頭も眠っているのだが、心が目覚めている」
どういうこと?
「ひとの意識には三層あって、体、頭、心がそれぞれの認識をしている。あなたの心だけが目覚めているから、俺はこうやって話が出来るんだよ。あなたの言う通り、我々は心だけの存在だからな」
「われわれ?」
「ああ。今日来たのは俺だけではない」
すると、男の背後に複数の人影が現れた。
「何だか数日前から、家の中に大勢の人がいる気がしていたが、こういうことか」
今週から、日中に家に私一人でいる時間が増えたのだが、しかし、家じゅうから人の気配がしていた。
それも数十人の規模だ。
「そうだよ。となると、俺たちに気付いていたのだな」
「さすがにもう慣れたよ。生き死にの懸かる修羅場を潜り抜ければ、誰でも研ぎ澄まされる」
二年前の稲荷に始まって、あの世に引き込まれそうになる機会が幾度もあった。
そのせいで、大概のことには驚かなくなった。
怖ろしさは相手を知らぬことによって生じる。得体の知らぬ相手だから怖ろしいと思うので、どのような存在かを知れば、その恐怖心が大方無くなる。
「だから来たんだよ。これを見てくれるか」
男はそう言うと、私に一枚の写真を見せた。これも正確には、プリントされたものではない。その光景を見せたのだ。私の方は、まるで一葉の写真を眺めるようにその光景が見えた、と言えば現実に起きたことに近い。
その写真には、ひとりの男が写っていた。
「この人のことは知っているよ」
知人の一人だが、特に親しかったわけではなく、個人的にやり取りしたことはない。
「この人がどうかしたのか?」
「よく見てくれ。傍に俺がいるだろ」
写真の中の人物を注視すると、確かに肩口に煙が出ていた。その煙の中を覗き込むと、目の前の男の右眼の周囲が見えていた。
「お前はこの男性に取り憑いていたのか」
「取り憑いていた、は、言い方があんまりだな。見守っていたと言ってくれ」
「そうか。じゃあ、お前はこの人に寄り添っていた、としよう。それが何だ」
人は誰でも幾人かの幽霊を連れているものだ。共感を覚える者に幽霊は寄って来る。
「コイツは俺が散々助言しているのに、それを聞き入れず、駄目な方、駄目な方へと進んで行く」
「人間はそういうものだよ。水と同じで高いところから低いところに流れる。それでしくじるわけだが、それを選んだのは自分自身なのに、落ちた後は重力のせいにする。例え話だけどね」
「実際その通りだ。俺が幾ら諭してやっても、感情に訴えることしか出来ぬから、意思を矯正させることが出来んのだ」
「なるほど。それで私のところに来たか。その男に忠告して欲しいのだな」
「ま、そういうことだ。俺には打つ手がない。ひとまずあなたはコイツを知らぬわけではないから、あなたの口から『やめとけ』と伝えて欲しい」
「だが、意見するような間柄ではないよ。私は占い師でも霊能者でもないから、説明にも困る。ほとんどの者はあの世を極力見ぬように暮らしている。眼を閉じている者にそれをこじ開けて見させようとしても腹を立てるだけだろ。一切を当人に任せておけばよい。コイツの眼が開いた時に初めて教えてやれる」
そもそも、私やこの幽霊の存在など、コイツは「馬鹿げた話だ」と思っている。
「ひとにとって何が大切なことかは、死ねば分かるだろ。出口はひとつしかない」
「だが、死んでから分かっても、もはや修正できない」
「それも含めて、人生は修行の一環だわ。捨て置けばよい」
当たり前だが、この男は写真のヤツに共感を覚えて傍にいるのだから、何とか助けてやりたいと思う。
自分が犯した過ちを、写真の男が同じように犯そうとしているから尚更だ。
「聞く耳を持たぬ者に説得を試みるより、耳が出来た時を見計らって、それとなく伝える方がすんなり受け入れて貰えるよ。はい次」
目の前から男が去り、それと入れ替わって、今度は女が現れた。
この女も、自分が取り憑いている男の様子を見せた。
「この子は自堕落な生活をしていて、日々を無為に費やしています。何とか眼を覚まさせてやりたいのだけれど」
写真を見ると、そこに写っていたのは、テレビに出る芸人の一人だった。まだ若手だ。
周りには七つも八つも幽霊が集まっていて、めいめいが男の心にあれこれ吹き込んでいる。
「ああ。欲望に負けてるね。遅かれ早かれ破滅するだろうな」
それを案じて、この女は私に口伝を頼みに来たのだ。生きている人間には、ひとの言葉でなければうまく伝わらぬからだ。
たまたまだが、私は一度「死んだ(心停止した)」ことがあり、それ以来、両方の境界線に立つようになっている。
ここで私は思った。
「今は、まるで私がこの幽霊たちのカウンセリングをしている状況じゃないか」
ま、生きている者には、カウンセラーがいて、占い師がいて、自称霊能者がいる。
だが、死者には、心を癒してくれる者が何も無いのだった。
女の背後に目を遣ると、後ろには行列が出来ていた。
ここで完全に覚醒。
追記)何となく「昨日ついて来た」ような気がしたので、画像を点検して見ると、なるほど男が抱き付いていた。