◎霊界通信 5/17 いまだ亡者の群れの中
四日ぶりに床より起き、真っ先に八幡神社に行った。
このところの体調の悪さを考えると、沢山寄り憑いていても不思議ではない。
ま、体調悪化の起点が「殺してやる」と囁かれた日になっている。もちろん、そんなのを気にしていたら、これまでやって来れてはいない。
全身のだるさは別にして、はっきりした障害箇所は、左の太腿の裏と右側の腰だ。腰の方には痛みがある。
早速、死後枚連写してみたが、右後ろに不自然な影が出ていることと、手水場の柱の後ろに「何か」が見えていることが目に付いた。
柱の陰のほうは割と鮮明で、ちょうど子どもが柱にしがみ付いているように見える。
離れているので、確信はない。そう見えただけ。
四枚目を見ると、半透明だが、まだ子どもの姿がぼんやりと残っている。
これ自体はあまり問題はなく、ここで寄って来た者だ。
基本は「闇夜の灯台」効果による。
一方、背後の気配が悪い。
「わやわや」「がやがや」と複数の声がするし、肩や背中などに幾本も手が貼り付いている感触がある。
ちなみに、真後ろは手水場で、木々があるのは数十㍍後方だ(三十㍍以上)。遠近法が損なわれている。
子どもの頃に一度だけ、深夜に葬列が歩くのを直接見たことがある。
二時頃に目覚め、二階の窓から放尿したのだが、その時に遠くの坂を上って来る群衆を見た。つい前の週に近所の老人の葬列を観たばかりだったので、幼心にもそれが葬列だと分かった。白い幟を立て、音もなく歩いていた。
だが、間近に来ると、白い着物を着た者ばかりだし、さらにはその中にとても人間とは思われぬ異形の者たちが沢山交じってもいた。
それ以後、幾度となくその時の夢を観たが、中学生になり、それが「百鬼夜行」と呼ばれるものだと知った。
なお、鬼というより、亡者と言った方が見たままに近い。
それ以後、百回と言わず、その亡者の群れに追い駆けられる夢を観た。
夢の中でずっと逃げ続けていたが、遂に隊列に捉えられたのが令和元年の頃だ。この様子(画像)を幾度も公開して来たが、一人きりの時にガラス窓の自分自身を撮影したのに、背後には複数の人影が連なっていた。皆が前の者に手を当て、ムカデ行列を構成している。
どうやら、今も私はその行列の中にいるようで、常にすぐ傍に亡者たちの所在を感じて暮らしている。
行列の中にいるので、相手側(亡者)から見ると「仲間の一人」に過ぎず、無視されることが多いのだが、たまに「コイツは生きた人間」だと気付く者がいる。亡者(幽霊)によって、被害を被ることは少ないのだが、時には障りを得ることもある。
従前は、行列の長さが「三十万人くらい」だと思っていたが、既にそれくらいの人数には追い越されている。ちなみに「三十万人くらい」はダービーの時の府中競馬場の観客が十万人であることから、それを物差しにしたものだ。
程なく私は死ぬと思うが、この群れを抜け出してから死なぬと、死んだ瞬間に、亡者たちの「正真正銘の仲間」になってしまう。
自由が無くなるから、なるべく隊列から逃れた状態であの世の住人になりたいと願う。
ま、亡者の群れの仲間になってしまったら、腹を括り、そのままこの世に躍り出て、命に敬意を払わぬ者たちを回収しに回ろうと思う。目標はあの国やこの国。
追記)女児は背丈などから子どものように見えるが、死んだのは高齢になってからだ。
体に触れられると、その相手の状況が伝わって来る。
私が「子どもを拒まず傍に置く」ことを悟り、子どもの姿で近づく。実際に、当初はこれがお稚児さまかどうかを少しの間思案させられた。
三枚目で分かるが、この子どもが触れたことが原因で、右脚が画像から消失した。
脚の位置に見えるのは柱だ。