日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎ドナドナ

 四五日前に旧PCが完全停止したので、新しいPCを再構築しています。

 この間、更新できなかったのはそのためです。

 ネットは今日つながったところで、これから整えます。このため更新も遅れがちになると思います。

 

◎ドナドナ
 十五年以上乗った車を「廃車下取り」に出した。長く使うと「物」に魂が宿るというが、愛着があり寂しい。
 車がトラックに載せられ、去って行く時には、頭の中に「ドナドナ」が響いた。
 思い出があるからだ。

 車を見送ったが、荷台の上の車の後部座席に人影を見た。
 これでこの数か月の謎が解けた。
 朝夕、娘を駅まで送り迎えしているが、家に戻る時に「まだ誰かが車に乗っている」気配があった。
 (このことについては、幾度かSNSに記した。)
 こういう直感は当方は確かなほうだ。気のせいじゃない。
 だが、一体誰なのかが分からなかった。

 この日、それが分かった。
 去って行く車の後部座席に頭が見えたのだが、母だった。
 これで謎が氷解した。
 次女(孫)は父親や祖母にとっての心配の種だから、その孫娘に寄り添っていたのだった。あるいは当方かも

 はっきり目視すると、さすがに堪える。
 ジジイの目にも涙だわ。
 母は車に乗って行ったが、馴染みのある物で息子の家族との接点の一つだったからだろう。

 晩年の母は、時々、新幹線で息子の家を訪問したが、病身でもありかなりキツかった。
 ある時、数日を当家で過ごした後、帰る段になり、「新幹線に乗りたくない」と駄々をこねた。
 「車で送って」
 これはよく分かる。新幹線の中では、気分が悪くなっても我慢するしかないが、車はサービスエリアなりで休憩が出来る。
 そもそも母は頻繁にトイレに行く要があったから、一時間ごとにサービスエリアに寄る必要がある。その時、外に出て空気を吸えれば、楽になる。
 具合が悪いことを口に出さなかったから、その時は正直「わがままだ」と思った。
 だが、やはり母親なので、車で岩手まで送った。
 普通は五六時間だが、休憩が長いから八時間以上かかる。
 新幹線のほうが楽に見えるが、母にとっては「息子が傍にいる」ことで気が楽になったと思う。また一緒に過ごす時間も数日増えた。

 今はその頃の母の状態に近くなった。
 新幹線に二時間乗るのは難しい。途中で具合が悪くなり、着いたらそのまま病院に行くことになりそう。
 墓参りなどに行くと、逆に親族に迷惑をかけることになるから、さすがに行けない。
 母は遠くにいる息子やその家族を案じて、無理を押して新幹線に乗った。
 自分が逆の立場になり、その頃の母のキツさが身に染みる。