日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

傲慢(ごうまん)な人たち

 どこかの市長が、「高度医療が発達したおかげで、本来、自然淘汰されるべき人まで生き残っている」といった類の発言をして物議を醸しました。この場合の淘汰されるべき人とは、重度障害を持つ人を指していた模様です。
 つくづく感じますが、最近、こういう傲慢な人が増えていますね。
(ちなみに、どこの市長かはネットで引けばわかります。ここでは、調べたくも書きたくもありません。)

この報道を聞いて、「パンが無ければ、お菓子を食べればいいじゃない」ってな言葉を思い出しました。
(ちなみに、娘によると、「これはマリー・アントワネットの言葉ではない」とのこと。)

自身は対象の外にあるという自覚を持ちつつ、第三者の生き死にを勝手に論じているところが、最大の難点です。自分や自分の家族が障害者であった人の発言であれば、どういう意図なの?と興味を持つところですが、この市長の言い草は要するに他人事の話です。
もっと愚かなのは、この市長は自分の狭い了見を正しいと信じ込んでいること。
傲慢ですねえ。

健康な人は、病気の人、障害を持つ人の置かれている状況を想像することができず、健康な自分の状態を前提としてものを考えます。
卑近な例ですが、私や私の妻は外出する時に必ずマスクをします。新型インフルエンザに感染すると、致命的な事態となりうる持病を抱えているからで、医師からも「十分に注意するように」と言われているのです。
この様子を見た知人の幾人かは、マスクをしている私たちを見て、「なんでマスクなんてしてるの?40歳以降はかからないんだよ」と半ば嘲り笑いました。
この人たちは基本的に無知なのですが、新型=従来のインフルエンザと大差ない=重症化する人は単についてない人といった発想をしています。さらにその陰では、「自分は健康だし、罹っても大丈夫」という意識が働いてもいます。
ご本人は勝手です。人は日頃の健康状態の序列に従って、順番に死んでいくわけではないので、自分が病気になればわかることです。中高年なら、今日までは健康だと思っていたのに、翌日には悪性新生物が発見されるというのもよくあることです。

話を戻すと、その市長のような考え方は、他人に押し付けることではありませんよ。
「税金を払っていない人には、福祉はいらない」
「ただ長生きをしても、何の役にもたたないから、体が衰えたら死ぬべきだ」
「人口を減らして、福祉負担を減らそう」
「子どもを産まない、産めない女は、社会には不要だ」
こういう類の理屈になってしまいます。
人の世は、大脳皮質の上っ面で考えた理屈だけで成り立っているわけではありません。

この市長は、明らかに弱者に対する思いやりを欠く人物だろうと思います。もしそれがあれば、こういう意見を公言したりはしません。

結論は1つですね。
本人の論調で言えば、「住民に対する配慮を欠く市長は、行政の長としての資格が無いので、辞めさせるべきだ」ということになりますね。
人格に重大な欠陥があるのに、こういう人を市長に仕立てた教育制度や、市長選で投票した市民センスには重大な欠陥があります。(ここはその市長の物真似レトリックです。)