夢の話 第642夜 休息の終わり
19日は病院から帰ると、すぐに具合が悪くなり、居間で眠りました。その時に観た夢です。
知人に連絡し、誰かの葬式に出る話をしていた。
夢自体は、その葬式で、「仲間だった者として死者をどう送るか」という話だ。
すると、その夢をぶち壊すように大音響が響いた。
「ダアアン」
家の屋根に何か重いものが落ちた音だ。
うっすらと意識が戻る。
「あれは、重さで言えば60キロから80キロくらいのものが落ちた音だな」
最近流行の飛行機からの落下物とか。
あるいは・・・。
黒っぽい人影が屋根の上に立っている。そんな姿が俺の頭に浮かぶ。
「ああ。戻って来たんだな」
ここで覚醒。
これまで15年以上もの間、自分の周りで、常に「何かの気配」を感じ、見聞きしていたのですが、聖天院にお参りした日から、それがパッタリと無くなっていました。
人の動く気配や、声がまったくありません。
「おかしいな。どうしたんだろ」
もしかして、俺の体調が「良くなっている」という兆候かもしれん。
その後、ちょうど1週間の間はどこで何をしても、まったく気配を感じませんでした。
それが「ダアアン」を契機に、すっかり戻って来ました。
覚醒後、夕食の支度をするために台所に立つと、視界の隅に女の姿が見えました。
じっと私を見ているのです。
一瞬ドキッとしますが、なあに、前と同じです。
一時は自分が精神障害ではないかと疑った時もありますが、女性の「視線」は画像にも残っているので、大丈夫だと思います。そういうことの影響もあり、言動が激しくなったり挙動不審になるだけです(苦笑)。
静かな時間は1週間で終わり、すっかり元通りです。
「今が神無月に近いからかも」と思ったりもするのですが、神無月は新暦11月なので、当てはまりません。あるいは地磁気の関係なのかもしれませんが。
「ダアアン」は、心臓に異常が生じた時の自覚症状ですが、そのまま止まらなくて良かったです。重い物や雷が落ちるような音ですが、実際には落ちていないのに、そういう感じがするときは、完全なる心臓病です。
体調と「妙な感覚」とは関係があり、体調が悪化するとどんどん強くなります。
してみると、やはりこの1週間は状態が少し良かった、ということだろうと思います。
今は、1キロくらい遠くで、男の人が叫んでいる声が聞こえますね。
「ああああ。あー」という感じの声です。
もちろん、現実に叫んでいる声ではなく、あの世からの声です。
こういう感覚は、「まったく無い」人の方が静かに暮らせます。
まあ、「自分には霊感がある」と自称する人ほど、実際には全くそういうのが無い「妄想家」ではあります。
私にはさしたる霊感はありませんが、妄想家の一人であることは間違いありません。
これから単身みちのくに出発。
色々と「出るだろう」という確信があり、少し憂鬱です。
しかし、老境にある父も母も、口では言いませんが、私を待っているのです。